欧州情勢を受けて
緊縮財政を推進してきたフランス・サルコジ政権が敗北。
ギリシャも同様の展開となったことは、ご存じのとおり。
緊縮財政という言葉、儒教的な価値観が残る日本においては
何となく正しいことのようにも受け止められるが、
「我慢をもって徳とする」ことが正義ではない諸国において、
緊縮財政路線とは、政権の無能の証明と判断されるのかもしれない。
ところで、この緊縮財政とは、どういうことか?
三省堂大辞林の解釈がすぐれていると思うので引用する。
きんしゅく-ざいせい 【緊縮財政】
財政の支出規模を縮小すること。例えば、景気の行き過ぎを抑えるために、
あるいは財政赤字を減らすために、増税ではなく歳出を減らす予算を組むなど。
財政赤字削減という目的はよく知られるが、
加熱した景気の鎮静化という目的があることを知らない人もいるかもしれない。
政府は、自国経済の安定に対する責任を持っている。
それゆえ、
景気が落ち込んでいれば、それを浮揚させるべく、
歳出を増やして市場と生活に資金が流れるようにする。
反対に、景気が過熱していれば、それを鎮静させるべく歳出を抑える。
これ自体、難しい理屈ではない。
だが、現代世界が悩ましいのは、
「不景気だから歳出を増やすべき」なのに、
「財政赤字だから歳出を減らさなければならない」、
という矛盾を、主要国が一様に抱えてしまっていることにある。
国民生活・国民経済の安定をはかるのなら、財政出動すべき。
だが、
政府の財布の将来性を考えれば、緊縮財政を選択すべき。
もはや、二律背反の極みか?
と、思えるが、私は実はそこまで絶望的だとは思わない。
この問題をわかりやすくするために、しばらくたとえ話を使う。
増田家には100万円の蓄えがある。
だが、いまの生活では年収が60万円なのに、
年間支出が80万円あり、年間赤字がマイナス20万円となる。
ということは、このペースを続けていくと
5年後には蓄えを食いつぶして家計が破綻してしまう。
だから、年間支出80万円を50万円にまで引き下げることにする。
これで増田家は救われる。
ここでいう増田家とは政府のこと。
政府は助かったが、
80万円の支出とは、受取側にすれば80万円の収入だったわけで、
それが50万円になってしまうのだから、大変だ。
ここでいう受取側とは、国民のこと。
しかしである。
増田家の隣の安田家は、やはり100万円の蓄えがあり、
年収も60万円、年間支出も80万円と、何もかも増田家と同じ。
なのに、安田家は支出を下げるどころか反対に90万円に増やした。
破綻まで5年あるはずの猶予を、あえて3年強にしてしまった。
ところが、ほどなく安田家の年収のほうが変わっていく。
60万円が80万円、100万円と増えていき、
パンクを回避するどころか蓄えを増やすようになっていったのである。
増田家と安田家の違いは何か?
支出額の問題ではなく、支出の中身の違いだった。
増田家は、自分のためにばかりお金をつかっていた。
だが、安田家は人のためにお金を使っていたので、
感謝され、またそういう安田家の存在の必要性が認知され、
安田家を守ろうと受取側ががんばって、
安田家にも資金が回るようにしてくれたのである。
政府が無駄な支出を戒めることは当然ながら、
並行して、経済活性を促すための支出を本気で遂行すれば、
景気が浮揚し、所得税や法人税が入ってくるというたとえ話である。
国民を信じるのなら、その国民に、
その国民自身が生み出したお金の使い方を託してみるべきだ。
だが、現実に主要国政府は国民の自立的な経済活性力を信用していない。
だから、緊縮財政を選択する。
投資しても、それを増やすとは思えない連中に金をまわすより、
支出をしぼるほうが国家の安泰だと考えているふしがある。
どこの国も、政治家や官僚たちは民間人をバカにしすぎていないか。
この問題は、エリートの選民意識という要因もあるだろうが、
それ以上に、国民が汗水垂らして働いても、
その労働がGDPの押し上げに貢献しないという、
現代の世界経済のありようが大きい気もする。
端的にいうと
働いて生み出される財やサービスはデフレ化するが、
働かないで生み出されるマネー商品はインフレ化するという矛盾だ。
ともあれ、そういう経済のありようなら、
知恵と意欲がある民間人を草の根わけても探し出し、
機会と資源を与えることが政治家や官僚のつとめではないか。
そういう目利きを必死にやることが、
いまの時代には不可欠の公務だと思う。
「金がないから出さない」。
こんな判断ならボンクラ増田家の当主の私ですらできる(笑)
ない中をやりくりしながら、投資をはかっていくことができてこそ、
エリートであるはずだ。
デフレ不景気の中、欧州同様に緊縮財政をかかげる日本だが、
この国は、なかなか周到な面がある。
歳出を減らせば、そのせいで国民の所得も減らしてしまい、
結果、所得税(法人税なども同じ)をとれなくなってしまう。
これでは元の木阿弥。
そこで考えた。
所得が減っても、人は生きていくために消費をするのだから、
ここに課税しておけば、とりっぱぐれがないと。
こんなことに知恵と労力を使うより、
国民が健康で生き生きと働き、
それが経済効果を生むための政策立案に知恵を使ってほしいと思う。
フランスとギリシャの選挙結果を、日本政府はどう解釈するのだろう。
<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>