増田通信より「ふ~ん なるほどねえ」306号 一遍の詩に心を乱され、その詩に魂を救われる
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<最近の本物> 一遍の詩に心を乱され、その詩に魂を救われる
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雑誌編集に没頭すること4カ月。ようやく校了を向かえる。
多忙な時間が過ぎ去ると、反動か、自省の念が舞い降りてくる。
自分は大丈夫か? 勘違いしていないか? 何か間違いをおかしていないか?
そういう心持ちのなかで思い起こすのが、
詩人・茨木のり子の一作、『倚りかからず』である。
紙数の都合もあり、一節だけを紹介する。
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
刺さる。ぐぐぐっと、言葉の切っ先が胸に刺し込まれてくる。
わかったふうな自分。
えらそうな自分。
尊大な自分。
その実、あれやこれやに倚(よ)りかかっている自分。
「でも仕方ないよね」と、安直に自分を赦そうとする自分。
「おまえは自立できているのか」と問いながらも、
「だいたい自立ってどういう意味だっけ?」と、
関心を逸らせて、内省を回避しようとする自分。
「倚りかかって何が悪い」と開き直ろうとしてみても、
そんな幼稚な言い分には引っ掛からない、中途半端に知恵の付いた自分。
ああ、どうすればいいのか……。
もう一度、詩に目を通す。
詩人は「倚りかかりたくない」「倚りかかりたくはない」と綴っていた。
「倚りかかっていない」とは、言っていない。
そうか。「かくあらん」とすることが肝要なのか。そう結論付ける。
一遍の詩に心を乱され、その詩に魂を救われる。
本気の言葉のありがたみを、痛いほど感じる2024年の年の瀬。
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)に、
NICe正会員・協力会員・賛助会員、寄付者と公式サポーターの皆さんへ、
感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜んなるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第306号(2024/12.16発行)より一部抜粋して掲載しました。
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