増田通信より「ふ~ん なるほどねえ」263 昭和の町並み保存特区構想 ~埼玉県行田市に一瞬お邪魔して~
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<最近の提案> 昭和の町並み保存特区構想 ~埼玉県行田市に一瞬お邪魔して~
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埼玉県行田市を訪ねた。
行田市は「ぎょうだし」と読む。
地名こそ知っていたが、実際にお邪魔したのは初めて。
東京からは首都高経由で東北自動車道に入り、
いったん埼玉県を越えて群馬県まで進み、館林ICで高速を下りる。
その後、一般道経由でもう一度埼玉県に戻れば、行田は近い。
所要時間は1時間30分~2時間程度。
もっとも、都内の出発地点によっては、
東北道ではなく関越道を使うほうが早い場合もある。
言い方を換えれば、東京から行田まで一直線で向かえる道路はないということ。
鉄道を利用する場合、上越新幹線もしくは高崎線で熊谷に向かい、
そこでローカル線の秩父鉄道に乗り換え、行田市駅を目指すことになる。
これはこれで手間だ。
そういう交通網の「はざま」に位置してしまったせいか、
「せい」というか、「おかげ」というか、
行田市中心部の景観は、昭和の色彩が驚くほどに濃かった。
大小の神社や仏閣が並び、路地裏には小さな社や祠が数多く残る。
また、鰻屋は目に留まっただけで3軒。蕎麦屋も多かった。美味そうだ。
かつて足袋(たび)の一大生産地として、栄華を極めた同地である。
ドラマ「陸王」で、その史実は広く知られたと思うが、
なるほど、実際にその足袋を納めていたと思われる大きな蔵も散見するし、
長屋門を構えたり、門被りの黒松を植えたりしている屋敷も少なくない。
何より、私の目を引いたのは、色とりどりの花びらを浮かべた水盤が、
街の中のあちこちに置かれていることだった。
一言で表せば、とにかく風情抜群の街。
もちろん、そういうエリアであるがゆえに、
中心地の商店街の多くの店は、シャッターを降ろしたまま。
しかし、反対に言えば、取り壊されたり、建て替えられたりしていないため、
昭和の「人気業種」の顔ぶれを、今に伝える役割を果たしている。
あまり現実的な話ではないが、ここまで来たら、商店街をそのまま保存して、
フィールド博物館にしてしまえばいいのではと思うほどだった。
いや、待て。
この発想を「あまり現実的ではない」で片付けていいものだろうか。
京都を筆頭に、全国には歴史的建造物や町並み、産業遺構などを保存し、
観光資源・学術資源として活用している地域は数々あるが、
それらの多くは、明治期以前に建築・構築されたものばかりである。
つまり、昭和の日本に広がっていた景観は、
「大して古いものではないから」とばかり過小評価され、見捨てられ、
誰もその保存に努めてこなかったのではないだろうか。
確かに、現在から見れば、昭和はそう遠い過去ではない。
しかし、100年後、200年後の日本人から見ればどうだろう?
今の私たちが感動する明治期や江戸時代の町並みと同等の価値があるのではないか。
残念なことに、バブル期の乱開発がたたり、
交通の便のいい地域にあった昭和の町並みはほとんど消失した。
だが、行田市のように、東京や他の大都市と直結せず、
また、その地域自体での経済活動も右下がり傾向にある街は、
幸か不幸か、無節操な開発を免れている。これを奇貨とすべきだ。
開発の遅れを逆手に取り、「昭和特区」として世に打って出る。
政府はDXやGXばかり喧伝するのではなく、
「未来にとっての歴史的資産」にも、思いを馳せてほしい。
行田市には、天然記念物の「行田蓮」が咲き誇る「古代蓮の里」がある。
説明によれば、原始的な形態を持つ1400~3000年前の蓮の一種だとか。
数千年間、土中で種子のまま眠り続け、
近年の土木工事のおかげで再び開花に至ったというから、すごい。
その蓮のように、昭和の熱気も、数千年後の日本人に伝えられたら素敵だ。
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)に、
NICe正会員・協力会員・賛助会員、寄付者と公式サポーターの皆さんへ、
感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜んなるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第263号(2023/2.14発行)より一部抜粋して掲載しました。
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