増田通信より「ふ~ん なるほどねえ」255-2 神と人と ~普代村にて~
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<最近の発見> 神と人と ~普代村にて~
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「頭脳交換会in普代村」の翌日、
役場の森田氏の案内で、村内の山の上にある鵜鳥(うのとり)神社に詣で、
そこで特別に神楽を拝見させていただいた。
神楽とは、囃子と舞で成り立つ神事芸能のことだ。
笛と太鼓と鐘を奏で、面と衣装に身を固めた踊り手が一心不乱に舞う。
いわば、人間だからこそできる技を、神に捧げるのである。
それはもう、すごい迫力だ。
この熱力をもってすれば、確かに神は私たちの元へと舞い降りて来るだろう。
芸能という言葉は誤解されがちなので、あえて「芸と能」というが、
神楽という「芸と能」は、神と人とを仲介する営為だと私は解釈した。
神はいる。
私は東京に暮らし、こうして室内で原稿を書いたり、
何かの企画を立てたりして日々を過ごしている。
そこに神はいない。いや、いたとしても見えない。
なぜなら、私が神を求めていないからだ。
なぜ、求めない?
それなりに発達した科学技術とマーケティングのおかげで、
表面的には、何の恐怖も、何の不自由もなく、日々を過ごせているからだろう。
だが、普代村のような厳しい自然の中で暮らす人々にとって、
ましてや漁業や林業など、命懸けの仕事で生計を立てている人たちにとって、
神の守りは必要不可欠なもののはずだ。
人間がすべてをコントロールできないことなど、
言うまでもないことを、この土地の人たちは身をもって知っている。
だが、本当は、東京に暮らし、デスクワークに就いている私にも、
自然の脅威をはじめとして、不可抗力的な災厄は必ず降り掛かる。
ただ、それを忘れているだけだ。
いや、忘れているというより、侮っているのだ。
もっと言えば、勘違いして、驕っているのだと思った。
人間は自然に立ち向かい、自然を利用することで発展を遂げてきた。
これからも、そうしていくだろう。
だが、完全に自然を制御できるなど、あり得ない話だ。
その、制御できない部分と、どうつきあっていくのか。
人知を超えた存在に、祈りを捧げるしかない。
神楽を目にし、その向うに見え隠れする神をうっすらと感じ、
私は、思い上がっている自分を自覚した。
畏怖を抱き、謙虚に生きねばいけないと
神楽は、人と神との交流の場である。
それは真剣であり、なおかつ、底抜けに楽しい場である。
人と人とが交流する頭脳交換会も、神楽のようでありたい。
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)に、
NICe正会員・協力会員・賛助会員、寄付者と公式サポーターの皆さんへ、
感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜んなるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第255号(2022/10.14発行)より一部抜粋して掲載しました。
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