マーケティングの功罪
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「増田紀彦の視点 どうする?日本経済」
第107回 マーケティングの功罪
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【千葉県南房総市の創業支援セミナー】
10月12日、千葉県南房総市主催の『創業支援セミナー』で講師を務めた。
同市でのセミナー講師を引き受けるようになって7年になるが、
今回、初めて「マーケティングについて講義してほしい」との依頼を受けた。
言うまでもなく、マーケティングは事業活動の根幹をなす取り組みだが、
なぜか、起業・創業関連のセミナーでは、テーマになる機会が少ない。
それだけに南房総市のオーダーは画期的である。南房総市に座布団100枚!
それにしても、なぜ、マーケティングが取り上げられないのだろう?
セミナー主催者が、マーケティング理論は難しいと思っているのか、
または、単に中小企業庁の創業セミナー実施要領に、
「マーケティング」という言葉が入っていないからやらないだけなのか、
あるいは、マーケティングの意味を、主催者自身が誤解しているからなのか……。
もしかしたら全部かもしれないが、
可能性の高さで言うと、「誤解説」が有力な気がしている。
実際、12日のセミナーで参加者に「マーケティングって何?」と尋ねたところ、
「市場調査」という答えが返ってきた。
おそらく、市場調査を意味するマーケットリサーチと、
マーケティングを混同しているのだろう。
また、マーケティングを広告宣伝や販売促進と答えた人もいた。
セミナー主催者もこれらと同様の理解をしている可能性はある。
【マーケティングの第一歩は市場調査と分析】
もっとも、市場調査という答えは、あながち間違いとも言い切れない。
なぜなら、マーケットリサーチは、マーケティングの出発点だからだ。
事業を起こすために最初にすべきことは、世の中にはどういう人たちがいて、
それぞれどういう課題を抱えているのか、どういう希望を抱いてるのか、
それらはどの程度深刻か、どの程度解決しているのか、
それぞれの課題や希望を有する人々はどのくらいいるのか、
それらの人々の内、ニーズを顕在化させている人と、
させていない人はどの程度の割合になっているのか、
さらに、その課題を解決し、希望を叶える商品やサービスは現存するのか、
していないとすれば、なぜか、しているとすれば、なぜ普及していないのか、
などなどを、しっかり調べ、きっちり分析することである。
その調査・分析結果にもとづいて、
商品を企画・開発し、あるいは製品の仕入れに取り組む。
提供可能となった商品やサービスは、
狙った相手に知ってもらわなければ意味がない。
だから、広告宣伝もマーケティングの一環だし、
知ってもらったら、次は購買につなげたいわけだから、
販売促進もまたマーケティングの一環である。
まとめると、マーケティングとは、
市場調査→商品企画(開発)→製造(仕入れ)→広告宣伝→販売促進という、
一連の流れのことであり、言い換えれば、
「商品が売れていくための仕組み作り」ということである。
【経済学とマーケティングとは、ものの見方がまるで違う】
今、日本でも着々と物価高が進んでいる。
ご存じのように、物価高の要因は原材料価格やエネルギー価格の高騰であり、
人件費が物価を押し上げているわけではない。
ということは、物価が上がっているのに賃金が上昇しないのだから、
実質賃金が低下していく。その結果、我が国の貧困層はますます増える。
経済学的な視点に立つと、
この状態は消費の低迷を生み、景気後退をもたらすと考え、
物価の抑制か賃金の上昇、あるいは両方を実行すべきと結論付ける。
ところがマーケティングは違う見方をする。
「貧困層が増える」ということは、
低価格の商品やサービスを求める人が増えていくと考えるのだ。
つまり、低価格商品市場が伸びると予測するのである。
【低価格商品市場を定着させた「100均」だが……】
そもそも日本は、今の物価高局面に限らず、
長きに渡って賃金上昇を果たせず、消費行動は低迷を続けてきた。
それを捉えたのが「100均」だ。
バブル期のように、誰も彼も賃金が高ければ、
「100円や200円で買ったものなど、みっともない」という話になる。
だが、バブルが崩壊し、デフレが続く中、「1億総高級志向」は消え去った。
経済学では、この日々を指して「失われた20年」などと呼ぶが、
マーケティングでは、「お金を使わない人市場が定着した20年」と捉える。
念のために言い添えておくが、
この話は、経済学とマーケティングの視点の違いを説明するためのもので、
起業や新規事業を考える人に「100均」を勧めるものではない。
確かに貧困層は拡大するだろうが、
原料高を考えれば、100円という小売価格を今後も維持できるか悩ましいし、
すでに「100均」は過当競争に入っている。
【本当に「売れるものが、いいもの」なのか】
世の中には市場調査・分析から事業や商品を企画せず、
「自分がそれをやりたいから、作りたいから」という理由で、
事業を起こし、あるいは商品を開発する人がいる。
もちろん、この順序でビジネスに取り組む人は、大なり小なり苦労する。
しかし私は、そういう人たちのことが嫌いではない。
もちろん、単に不勉強、単に不誠実、単に面倒臭がりのせいで、
マーケティングを無視している人を応援しようとは思わない。
ただ、どんな世界にも、一芸に秀でる人はいる。
「これだけは誰にも負けない」という仕事をする人がいる。
私はそういう人が好きだし、そういう人に対して、
「市場が求めているのはこっちだから、そっちはやめろ」などと、
口が避けても言いたくない。
私が嫌いな言葉の第1位は、「経営者は孤独である」だが、
ギリギリの差で2位、もしかしたら同率1位に輝くかもしれないのが、
「いいものが売れるんじゃない。売れるものがいいものだ」というセリフである。
これはもう、暴言に値するとすら、私は思っている。
売れるものがいいものならば、覚醒剤や武器はいいものなのか?
さすがに極論かもしれない。
ならば、合法的な商品やサービスであれば、良いことになるのか?
自然や環境を破壊したり、文化や伝統を消滅させたりする事業は問題ないのか?
「売れるものがいいもの」は、明らかに一線を超えた価値観だ。
【人の手を離れつつあるマーケティング】
マーケティングの入り口は市場分析と記したが、
昨今は、経営者や担当者が首を並べて、ああだこうだとなどと議論せず、
どこの誰が何を求めているのかを、AIがアッという間に分析する。
いわゆるデジタルマーケティングの時代であり、
マーケティングオートメーションの時代に世は突入している。
こうなると、とある商品が有する価値や課題について、
売り手が真剣に考える機会が失われていくのではないかと心配になる。
【私が考える「新しい資本主義」】
少し前、「新しい資本主義」という言葉が囁かれた。
それを言ったご本人は、どういうつもりで言ったかわからないが、
私は、やはり「新しい資本主義」を探る時代に至っていると思う。
倫理観を重視する資本主義。
未来と伝統の両方を見据える資本主義。
お互いさまの気持ちで他者と取り引きする資本主義。
これらが、私の思う新しい資本主義だ。
それは、マーケティングに絶対的な権限を与えない資本主義でもある。
もしくは、「いいものが売れる」という理屈を取り戻した資本主義である。
企業にとって、マーケティングは確かに強力な武器である。
だが、武器のエスカレートに野放図だと、必ずしっぺ返しをくらうだろう。
現代人たる者は、優れたものを無条件に受け入れるだけでなく、
光の裏側にある影にも注意を払える存在であるべきだ。
<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>
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「つながり力で起業・新規事業!」メールマガジンVol.175
(2022.10.21配信)より抜粋して転載しました。
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