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厳しさを増す経済・経営環境に立ち向かうために、NICe増田代表理事が送る、視点・分析・メッセージ 。21日配信のNICeメルマガシリーズコンテンツです。
増田紀彦から3.11メッセージ 東日本大震災「10周年私史」



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  NICe代表 増田紀彦から3.11メッセージ
 
    東日本大震災「10周年私史」 
 
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私は1959年(昭和34年)の生まれだ。
奇しくも1960年2月生まれの今上天皇と同学年である。

子供の頃の光景を思い出せば、
防空壕跡や傷痍軍人を見かけることも少なくなく、
随所に第二次世界大戦の爪痕を感じることもあった。
それでも、日に日に浸透する民主主義が、世を明るく照らす時代だった。

同時に1964年の東京五輪へ、そして1970年の大阪万博へと、
「敗戦国日本」の復興・躍進劇の見事さに、心奪われる時代でもあった。

「あっちに工場ができた。そっちにお店ができた」……。
私の人格形成は、高度経済成長と軌を一にしていた感すらある。

だから年齢を重ね、学校に進み、社会に出て、出世をすれば、
いくらでも豊かになれると信じていた。
いや、信じる信じないではなく、それが当時の日本の常識だった。

しかし、1990年のバブル崩壊で「成長神話」も終焉を迎え、
その後10年続いた後遺症により、日本経済は塗炭の苦しみを味わう。

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「頑張らなくても、年々豊かになれるが、
頑張れば、頑張った分だけ、さらに豊かになれる」。

子供の頃のそんな常識は、この時代に完全に吹き飛んだ。
信じていた常識が通用しなくなることは大変なことである。

価値観の転換などと言うが、社会もビジネスも仕組みで動いている。
ひとりの人間が常識を疑ったところで、世の中は簡単に変わらない。

1990年代の苦悩(いわゆる「失われた10年」)は、
ひたすら成長を追い求めるべく作られた「日本株式会社」の仕組みから、
政府も企業も国民自身も脱却することができなかったことのツケだ。

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そんな時代のど真ん中の1995年1月、阪神・淡路大震災が起きた。

早朝のニュースは、複数箇所から火の手が上がる神戸市長田区の様子を、
ヘリからのカメラを使って延々と映し出していた。

我が目を疑うとは、このことだ。

カメラが火元にズームする。
ところが、ただの1台の消防車も駆けつけていない……。
私はまだ、ことの大きさが理解できていなかった。

というか、経済が停滞していようが、どうだろうが、
日本は、人々の生命や生活や財産が危機に晒されれば、
それに対処する社会的手段を十分に持っているはず……。

停電すれば電力会社が、水道管が破裂すれば水道局が、
ガスが漏れればガス会社が、犯罪が起きれば警察が、
船が難破すれば海上保安庁が、山が崩れれば自衛隊が、
そして火事や事故が起きれば消防署が、すぐに出動する。
それが、私たち日本の社会だと信じていた。
いや、信じる信じないではなく、これも戦後日本の常識だった。

「だが、地震に常識は通用しない」……。

私は、燃えるに任せたままの住宅街の光景を見つめながら、
自分の心の中の常識が、確実に焼け落ちていくのを感じていた。
バブル崩壊に次ぐ、二度目の大きな衝撃だった。

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関西の復興も徐々に進み、パソコンの普及やインターネットの登場もあり、
21世紀を迎えた日本は、久々に明るい空気に包まれていた。

幾度か嘗めさせられた辛酸も、経営者としての糧となり、
この時代、私は起業する人々の力にならんと、多忙を極めた。
そして2007年。
経済産業省『起業支援ネットワークNICe』のプロデューサーに就任し、
3年間の活動を終えた私は、50歳を過ぎていた。

2010年、NICeは民間活動に移行。私も活動の継続に尽力した。
それから1年を迎えようとしていた2011年3月11日、
東日本大震災が発生した。

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たまたま体調を崩して自宅で寝込んでいた私は、
時間が経つほどに揺れが強くなる状況を見て、
「とうとう来たか。これで自分は死ぬのか」と、覚悟を決めた。
やはり阪神・淡路の記憶が生々しかったし、その時の私の胸中には、
「この50年、十分頑張った」という、満足感も広がっていた。

だが、実際には命を落とすこともなく、ケガの一つもしなかった。

すぐさまニュースを見た。
あの津波は、まだ押し寄せていなかったし、
福島第一原発も、まだ事故を起こしてはいなかった。
時間が経つほどに、この地震の被害の深刻さがわかっていく展開だった。

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子供の頃、時を経るほど豊かになるという神話を信じていたと書いた。
が、半面、私は社会のあちこちに見受けられる矛盾にも敏感だった。
そういう性分は変わらない。
そのせいで学生運動に身を投じ、機動隊からひどい暴行を受けたこともあったし、
バブル崩壊後、人生を見つめ直そうと敢行した中国一人旅の途中、
人民解放軍に拉致され、基地に監禁されるという、とんでもない経験もした。

なのに私は、いつも生きている……。
振り返れば、私は、死なずに済んだことに何らかの意味を見いだしたくて、
人生を重ねてきたような気がする。

そもそも私は「人生計画」のようなものを立てたことが一度もない。
むろん、手がけるビジネスに関しては、計画を重視する。
ビジネスには目指すべき明確な目標があるからだ。

だが、人生はあまりにも予測不能である。
不確実極まりない将来に目標を定め、
そこに到達するための計画に縛られるせいで、変化を見逃したり、
対応できなかったりすることのほうが、私には余程恐ろしい。

だから私は、「何をしたい」ではなく、「今、何をすべきか」を考え、
その答えに沿ってその時々の身の振り方を決めてきた。
それが正しいというわけではなく、私はそういう人間である、ということだ。

10年前のあの日も、死を覚悟はしたが、結局生きていた。
であれば、その意味の答えを得たいと思った。

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それまでご縁のなかった岩手県や宮城県、福島県に私は足繁く通い、
体を動かし、五感を働かせ、目の前の一つ一つの課題に取り組んできた。
それを、一般的には「復興支援」と呼ぶのだろう。

しかし、私のこの10年の人生に、その言葉はまったくそぐわない。

こういう時代のこの国に、こういう性分で生まれてきた私にとっては、
復興に携わることが、ただただ自分らしく生きる方途だったからだ。

初めて被災地を訪ねた時の記憶は今も鮮明だ。

この世のものとは思えない惨状……。
物資を携え、海沿いの集落を回るが、どの住宅も無人。
当然だ。家屋はとても人が住める状態ではなかったし、
放射能汚染がどこまで進んでいるのかもわからないのだから。

そんな中、津波を受けてボロボロになった高齢者施設に、
スタッフが集まって片づけ作業をしているところに出くわした。
心ある人々から預かってきた物資を手渡しつつ、
私はそのスタッフたちに向かって、ジョークを発した。

恐らく、人生で一番勇気を振り絞ったのが、この時かもしれない。
絶望の中に立たされている人たちに向かってのジョーク……。

それでも、私はそれを決行した。
私は瓦礫を除去するための重機を操作することはできないし、
復旧のための土木工事もできなければ、
医療行為も介護行為も法律的な応援もできない。

その時の私ができることは、打ちひしがれる人々を一瞬でも笑わせること。
口から先に生まれてきた私がやるべきことは、それしかないと。

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月並みな言葉だが、過ぎれば10年など、あっと言う間だった。
いつしか私も還暦を過ぎた。
だが、この歳月の中身は濃い。重い。大きい。

悲しみや苦しみを胸の内に抱えながら、
前を向き、歩を進める被災地の人々は、
使命(命の使い道)を探る私にとって、師そのものだ。

私は被災者の皆さんの意気に呼応し、連帯し、連携することで、
自分が自分らしく、悔いなく生きる道を進むことができたと思っている。
だから、「支援をした」などという気持ちは、今もまったく湧いてこない。

そして思う。

支援活動は、いずれ必要なくなるだろう。
むろん、10年を経た今も震災の傷は癒えていないし、
実際、福島の原発が廃炉になるのは、いつのことかもわからない。
それでも時の経過は、確実に物事を変えていく。

だが、支援の必要はなくなったとしても、
芽生えた連帯感や育まれた信頼感は、容易にはついえない。

最近ではあまり言わなくなったが、まさに「絆」だ。

10年間という歳月をかけて、強く、固く、結んできた絆である。
「ほどく」ほうが、むしろ難しいくらいだ。

死ぬと思っても死ななかったことの連続ではあったが、
それでも、いつかは私もこの世を去る。
その日に、こういう人生で良かったと、私は思えるだろうか?
思える。

そう言い切れるのは、10年前のあの日から始まった道のりを、
被災地内外の素晴らしい仲間と共に、迷わず歩くことができたからだ。
自分らしい生き方を曲げず、なおかつ認めてもらえることこそ、
何よりの喜びであることを知ったからだ。

震災は不幸な出来事だった。
ただ、その後を生きてきた人の中には、震災を契機に自分を見つめ直し、
生きるべき道を一から切り拓いてきた人も、少なからずいるだろう。
その人たちの決意と営為が、新たな日本の礎になると信じている。

あらためて、あの日から10年。

これからも自分を信じ、仲間を愛し、
世の役に立つよう働くことを、犠牲になられた方々の霊前に誓う。

<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>

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「つながり力で起業・新規事業!」メールマガジンVol.137
(2021.3.11配信)より抜粋して転載しました。
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