先進企業は、なぜ哲学を導入するのか
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「増田紀彦の視点 どうする?日本経済」
第84回
先進企業は、なぜ哲学を導入するのか
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【そもそも「哲学」という言葉自体、難解である】
大学に入学して間もない頃、所属したサークルの先輩がこう言った。
「大学とは、真理を探究するための場所なんだ」。
青年増田が大志を抱くには十分な一言だった。
いざ、社会を知り、世界を知り、歴史を知り、
自然を知り、人類を知り、宇宙を知り、未来を語らん!
ちなみに所属したサークルとは哲学研究会である。
後で述べるが、私は高校生の時分から哲学書に興味を持っており、
半分は、そうした世界の中に身を置きたくて大学へ進んだようなものだ。
(残り半分は、以前にも記したが、学生運動をするための進学だった)
あらためて、哲学。
古典ギリシア語では「フィロソフィア」という。
「愛」を意味する「フィロス」と、
「知」を意味する「ソフィア」の合成語であり、
訳せば「知を愛する」学問ということになる。
哲学は難解と言われるが、すでに学問の名称からして悩ましい。
物理学なら物理について、経営学なら経営について、
それぞれの対象における真理を探究する学問であることは自明だが、
哲学は、そうした研究対象が判然としないのである。
【哲学は、人間の、もっとも人間らしい営為である】
言ってみれば、哲学=科学。
こう解釈する方がスッキリするし、
実際、現存する科学の諸分野は、すべからく哲学を源流としている。
そこで、私なりの哲学の定義。
哲学とは、人間が他の万物と異なり、
「考えてナンボ」の存在であることを自他に示す活動である。
私の定義は、どうもカッコ良くない(笑)。
なので、17世紀フランスの思想家、パスカルの言葉に補足を求めたい。
「人間は自然の中でもっとも弱い一茎の葦にすぎない。
だが、それは考える葦である」。
宇宙の広大さに比べ、人間は小さな存在でしかないが、
思考することにより、広大な宇宙を包むことも可能であり、
その脆弱さと、その偉大さの矛盾に揺れる存在ゆえに「葦」なのである。
つまり弱くなければ人間ではないし、
その弱さを克服せんと考え続けなければ、また人間ではないのである。
だから哲学は、人間の、もっとも人間らしい営為だと、私は考える。
【衝撃的だった『経済学・哲学草稿』との出合い】
「資本家が儲けた場合、必ずしも労働者も儲かるとは言えないが、
資本家が損をした場合は、間違いなく労働者も損をする」。
おおむね、こんな内容だったと記憶している。
カール・マルクス著『経済学・哲学草稿』(岩波文庫)の中の記述だ。
冒頭でも触れたが、本書を手にしたのは、高校2年生の夏休み前だった。
いやはや、難しかった。
そもそも主張の概念が容易に理解できないのに、
訳文が古く、言い回しも単語も難解なため、
一節を解釈するのに1時間、2時間とかかる箇所もあった。
たとえばこんな感じである。
「人間は、自然存在であるばかりではなく、人間的な自然存在でもある。
すなわち、人間は自己自身に対してあるところの存在であり、
それゆえ類的存在であって、人間はその有においても知識においても、
自己をそのような存在として確証し、実をしめさなければならない」……。
いや、例として挙げたこの部分などは、まだわかりやすいほうかもしれない。
こんな読解困難箇所のオンパレードの中で、唯一スッと頭に入ったのが、
冒頭に紹介した資本家と労働者の関係を表した部分だった。
【資本主義を解明し批判した哲学者マルクスの炯眼】
青年特有の、金持ちや権力者に対する反発心が、
資本家と労働者の関係の不条理に反応したのだと思うが、
ある程度学習を進めていくと、
この関係は、資本主義の本質であり宿命であることがわかっていく。
資本主義は、資本を投じて生産し利潤を得ることで資本を増殖させ、
さらに増殖した資本で再び生産を行う……という繰り返しで成り立つ。
では、資本と何か?
工場や機械、原料やあれこれ、そして労働力である。
つまり、利潤(剰余価値)を生み出すために用いるもろもろの資源の集積だ。
その資源は、すべて金銭によって調達することが可能である。
ゆえに、資源は商品であり、したがって労働力も商品となる。
どの商品を買うか買わないか、買うとして、いくらで買うかの判断は、
資本の増殖に責任を負う資本家の手に一切合切委ねられており、
「買ってもらう商品である労働者」が、そこに口をはさむ余地などない。
むろん、原料を提供する事業者が販売価格を高くしたいと要請するように、
労働者もまた自らの価格をアップしてほしいと要求することは可能だが、
どちらの場合にせよ、それを決定するのは資本家である。
つまり資本主義は、人間が人間として存在するために備わった労働力を、
木や鉄などの自然物から生み出された商品と同様だと考える。
これでいいのか? 良いはずがない。というのがマルクスの問題意識だ。
「ああ、哲学とはこういうものか」と、若き増田は感銘を受けた。
【歴史は再び、哲学の力を必要とする段階に突入した】
時代は今、2020年。
あのグーグルやアップルが著名な哲学者を顧問として迎えたり、
哲学の専門家をフルタイムで雇用したりしていることが知られてきた。
欧米では、哲学専攻に優秀な学生が多く集まるという事情もあるが、
それより何より、時代の先端を走る企業にとっては、
容易に答えの見つからない課題に立ち向かうスキルが不可欠だからだ。
言い方を換えれば、
次代の市場を獲得ないしは創出するためには、
課題の形成自体が斬新でなければならないし、
一歩も二歩も先んじた仮説を構築できなければ、
準備の方向を定めることも困難になってしまうからだ。
つまりはそれほどに、
現代世界が未知の時代へと突入し始めているということである。
IoTやAIといった画期的テクノロジーの普及しかり、
自然破壊と国境のボーダレス化によって引き起こされる、
感染症の世界的流行と、それへの対処もまたしかりだろう。
産業革命によって急速な工業化が進んだ時代にマルクスが現れ、
哲学を用いて人間解放の思想を生み出したように、
アフター工業化社会に向かいつつある今日もまた、
未知の領域における人間のありようを探る必然性が生まれたのだ。
【日本企業においても進む哲学導入】
すでに日本でもリクルートやライオンなどが、
ヴィジョン構築や企業課題解決といった分野で哲学の導入を始めているし、
森永製菓や大正製薬なども哲学に注目していると聞く。
また、2017年設立のクロス・フィロソフィーズというベンチャーは、
「哲学シンキング」を提唱し、大企業のみならず、
中堅・中小企業にも、哲学的アプローチを用いた課題解決法を提供する。
たとえば、とある仏像販売会社が、
「なぜ人は仏像を見ると心が安らぐのか」、
「その本当のところがわからない」という課題に対し、
同社が仏像ファンを集めて行ったワークショップにおいて、
哲学的掘り下げを行ったところ、
幼少期の体験が仏像への関心に結び付いている、あるいは、
女性の場合、仏像の顔に魅力を感じるなどの解を得るに至ったという。
哲学は、もはや誰にとっても次代のチャンスの扉を開く鍵である。
分析哲学の大家、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、こう言う。
「哲学は学説ではなく、活動である」。
<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>
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「つながり力で起業・新規事業!」メールマガジンVol.129
(2020.11.24配信)より抜粋して転載しました。
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