増田通信より「ふ~ん なるほどねえ」98「すべてはハッピーエンドのために」
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<最近の発見> すべてはハッピーエンドのために
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サクラの花びらが舞うと、森山直太郎の『さくら(独唱)』の旋律が浮かび、
新緑を迎えると、同じく彼の『生きとし生ける物へ』が浮かんでくる。
それにしても、『生きとし生ける物へ』の歌詞は不思議だ。
ご存じない方は、ぜひ一度下記URLで、この歌の詞を眺めて頂きたい。
http://j-lyric.net/artist/a0006b5/l002578.html
♪僕は君が思うような人間じゃない そうさそんな人間じゃない
このフレーズが二度出てきて、二度目のほうは、さらに、
♪もはや僕は人間じゃない
と続いていく。この詞をもって、曲は終わる。厭世感とでもいうか、
とにかく、この曲を初めて聴いたときは、気分がどんよりしたものだ。
しかし、新緑の季節である。視点を変えてみよう。
「人間じゃない」と聞かされて悲しくなるのは、
「人間はいいものだ」という思い込みのなせるわざではないだろうか。
生きとし生けるすべての物の一員として森羅万象と調和したい、
つまり「僕は人間じゃない」とは、「僕は特別な存在ではない」と捉えられる。
その前提に立つと、「人間じゃない」というフレーズを耳にした途端、
「それって人間以下ってこと?」と不快に感じたり、
「人間を超越したのか?」と驚いたりすること自体が、
人間中心主義に染まり切った証左ではないかと思えてくる。
解釈の是非はともかく、歌の言葉の力をあらためて感じた一件だ。
そう言えば私が思春期だった頃、吉田拓郎が、
♪人間なんてララララララララ~
と歌っているのを聴いたが、その時はかけらも悲しい気持ちにならなかった。
「人間なんて、ああでこうでそうで、どうしようもないけど……、でも!」
という、むしろ暗黙の人間讃歌だと受け取ったからだ。
人間をどこから見るかの違いかもしれない。問題意識の変化と言ってもいい。
数十年前には思い至らなかった人間に対する視点を、今の人は持っている。
そういうことなのだろう。
そう考えると、つくづく「歌は世につれ、世は歌につれ」である。
などと、呑気なオチでは済まされない気分だ。
どうにかして、『生きとし生ける物へ』の歌詞のように、
最後の最後に問題を投げ掛けて、コラムを締めたいと思っている。
……のだが、たぶん無理だと思う。それこそ、私はそんな人間じゃない(笑)。
私はハッピーエンド大好き人間だ。
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)
に、NICe正会員・協力会員・賛助会員、寄付者と公式サポーターの皆さん
へ、感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜ん
なるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第98号(2016/4/14発行)より一部抜粋して掲載しました。
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