嗚呼、五輪
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「増田紀彦の視点 どうする?日本経済」
第92回 嗚呼、五輪
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【白黒テレビに齧り付いた1964年の東京五輪】
最近知ったことだが、
私の父は1964年の東京五輪競技を生で観戦したそうだ。
何を見たのか尋ねたら、「競歩だ」と。
えっ? 競歩……。残念ながら、話は弾まなかった(笑)。
これが体操やバレー、マラソン、あるいは柔道なら、
大いに昔話に花が咲いただろう。
まだ幼かった私でも、東京五輪には熱中した。
体操男子の山下や遠藤、三栗、早田、女子のチャフラフスカ、
重量挙げの三宅、バレーの東洋の魔女、マラソンのアベベや円谷、
そして柔道の神永や猪熊、岡野、ヘーシンク……。
こういった面々の活躍にずいぶん興奮した記憶がある。
恐らく、私が生まれて初めて、見たくて見たテレビ番組が五輪中継だ。
青みがかったモノクロの画像の中で躍動する選手たちは、
自分の将来の姿のような気さえしていた。
まだ、一流のアスリートになる困難さなど、知る由もない年頃。
「大人になったら、自分もあんなふうに脚光を浴びるのだろう」。
そう思い、そう信じ、密かにそう願った。
問題は、どの競技で一流になるかだった。
【武道館の熱戦に感銘を受け、「柔道一直線」を誓った私】
私は柔道を選んだ。
両親にせがみ、道場に通う許しも得た。
東京五輪金メダリストの岡野五段に稽古をつけてもらったこともある。
もう、何十年も柔道着に袖を通していないが、
以降、今日まで柔道の主要大会中継は欠かさずに観戦している。
1980年の全日本選抜、不敗記録を続けていた山下泰裕選手(現JOC会長)が、
遠藤選手との対戦中に骨折したときのイヤな音。
1996年のアトランタ五輪、
今度こそ「金」と期待された田村亮子選手が決勝で敗退した直後の、
「私も人間だなと思いました……。人間でよかった」という談話。
2000年のシドニー五輪の男子100キロ超級決勝、
勝者の篠原信一選手が敗者になるという「大誤審」の時の篠原さんの忍耐。
忘れられないシーンは、まだまだあるが、
一番は、1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級決勝だ。
【古賀稔彦の祈りは、日本人全員の祈りだった】
直前の練習で靱帯に大怪我を負った古賀稔彦選手は、
出場すら危ぶまれる中、決勝まで進んだ。
最後の一戦は制限時間内で決着がつかず、勝敗は判定に持ち込まれた。
金メダルは古賀か、相手か……。
判定の旗が揚がるまでの数秒の、古賀のすべてを私は覚えている。
彼の体は小刻みに震え、目は充血し、口元は喘ぎ、歪んでいた。
限界を突破してしまった緊張、もはや行き場を求めようもない熱情、
宇宙まで届きそうな祈り、そして、慟哭……。
天は、古賀に勝利をプレゼントした。
こんな繊細な青年が、こんな優しい男が、こんな普通の心の持ち主が、
今、その努力の成果を世界中から讃えられている。
テレビの前で、私は中継が終了してもなお、拍手を贈り続けた。
その拍手は、古賀へのものから、いつしかすべての選手たちに、
そして、五輪を生み出し、五輪を守った人類に向けたものへ変わった。
さらには、バブル崩壊により、息も絶え絶えだった自分と日本を、
叱咤し、鼓舞するための拍手でもあった。
ありがとう、古賀選手、ありがとう、五輪……。
【史上最高の祭典は、史上最良のマーケットでもある】
あのバルセロナの決勝戦から、もう30年近くになる。
はからずも、新型コロナ感染症の影響で、
私も、多くの人々も、五輪の舞台裏を垣間見ることになった。
そう、古賀選手の姿に世界が歓喜したのは表舞台の話。
舞台の裏では、その感動を準備し、演出する活動や、
それらを経済や政治に結びつける活動が営まれている。
五輪は世界中を幸せにする、人類最高の祭典だ。
であればこそ、市場経済にとっては、最良のマーケットであり、
世界中の人々が食い入るように観戦するこのイベントに、
一枚噛まないほうが、企業としては間違っていることになる。
ただし、「こんなにおいしいマーケット」である。
一枚噛むための、つまりスポンサーになるための費用は破格だ。
東京五輪のスポンサーは4つに分類されていて、
それぞれの権利と契約金額は大きく異なっている。
●ワールドワイドオリンピックパートナー
14社が契約。契約金額は1社あたり1年で30億円程度。
もっともトヨタは10年契約で、実に2000億円と言われている。
●JOCゴールドパートナー
15社が契約。契約期間は6年間で、総額は1社あたり150億円以上。
●JOCオフィシャルパートナー
32社が契約。契約期間は6年間で、総額は1社あたり50億~60億円。
●JOCオフィシャルサポーター
18社が契約。契約期間は6年間で、総額は1社あたり10億~30億円。
ざっとみても、毎年1000億円を超す契約金が収められる計算だ。
このほかにも巨額の放映権料や入場料、グッズ販売料なども動く。
五輪は、誰がどう言おうと金の成る木であり、
しかもその木の枝葉や根は、世界経済の隅々にまで延びている。
だから、中止など、できるわけがない。
【問題の根本は、五輪を「商品化」したこと】
資本主義は、「利潤を生み出すもとになる」と思える物事であれば、
どんなものでも商品にし、どんなことでも市場にしてしまう。
本来は誰のものでもなかった土地が売買され、
今や、水源や水道すらも商品になりつつある。
かつては、五輪も商品ではなく、アマチュアリズムの祭典だった。
だが、金になる五輪を、資本主義はいつまでも放置しなかった。
1984年のロサンゼルス五輪。
空から宇宙飛行士が舞い降りてくる、あの開会式の光景は今でも鮮明だ。
五輪をショービジネス化させ、
スポンサーを一業種一社に絞ることで契約料を吊り上げ、
細かいことを言えば、聖火リレー走者からも参加料を徴収するなど、
この大会から五輪は商品としてのあり方に舵を切った。
その後、たびたび「金のかからない五輪を」という題目が唱えられたが、
投資が小さくなれば、リターンも小さくなる。
ゆえに、巨額五輪はなくならないし、
当然、パンデミック(ごとき)で、投資回収機会を放棄することもない。
つまり、東京2020を中止できない根本的な理由は、
IOCやJOC、日本政府や東京都などの個別事情によるものではなく、
五輪を「商品と市場」にしてしまった資本主義の歴史にある。
【東京五輪問題を契機に、資本主義のあり方を見つめ直すべき】
だから、何のために五輪を開催するのか? と、問えば、
その答えは、表舞台を見ている人と、舞台裏を見ている人とでは、
まったく異なるものになってしまう。
それでいいのだろうか?
行き過ぎた舞台裏の動きは、すでに表舞台の感動を浸食し始めている。
私は、今ほど、人類が試されている時はないと感じる。
五輪の強行開催は、世界が追求するSDGsに逆行するものだとも思う。
開会式はもう明後日。
この日は、人類が、人類のために下すべき決断を放棄した日として、
未来にまで、語り継がれるかもしれない。
今は東京五輪が、「最悪の事態」を招かないよう、祈るのみだが、
その結果にかかわらず、今回の混乱を「過去のこと」にせず、
世界が節度ある資本主義のあり方を模索する契機としたい。
個人的には、21世紀の資本主義は、
従来の速度を緩めることを主眼に再構築を図るべきだと思う。
例えれば、「競走」ではなく、「競歩」くらいのスピードで。
<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>
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「つながり力で起業・新規事業!」メールマガジンVol.146
(2021.7.21配信)より抜粋して転載しました。
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