増田通信より「ふ~ん なるほどねえ」167 独り立ち
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<最近の発見> 独り立ち
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私がまだ高校生の頃だった。
社会問題をめぐって、父親と衝突したことがあった。
互いの主張は並行線をたどったまま、最後に父からこう言われた。
「偉そうなことを言うのなら、自分で稼げるようになってから言え」と。
悔しかった。反論はできなくもないが、基本的にはその通りだと思った。
早く、一日も早くそういう日が訪れることを祈った。
やがて、その日は訪れた。
地方の新聞社に就職し、私はそれなりの給料を得るようになった。
そして、六畳一間の狭い部屋ではあったが、自宅を出てアパートを借りた。
すぐに、自分の金で冷蔵庫を買った。
配送員がそれを私のアパートの部屋に届けに来た姿を見た時、
とうとう自分は独立したのだと実感した。
当時はまだ、会社勤務を辞して二度目の独立(起業)をするなど、
頭の片隅にもなかったが……。
あの頃の高揚感の正体を、私は今になって理解した。
父は「稼げるようなったら」と言ったが、それだけでは不十分なのだ。
稼ぐことはもちろん、支払いもすべて自分の懐で行い、
さらに、生活のすべてを自分で取り仕切ってこそ、親からの独立である。
就職した私が、そのまま実家に留まっていたら、
冷蔵庫は当然買わないし、冷蔵庫の中に入れる食材も買わない。
その食材を使って自分で料理をすることもない。
つまり収支の両方、公私の両方に責任を持ってこその独立である。
そういう人生の幕開けに、若き私の胸は高鳴ったのだ。
この理屈を広げると、起業家にも当てはまる話になる。
「その顧客がいないと、稼げない……」、
「取引先に、支払いができない……」、
「妻がいないと家事や子育てができない……」、
こんな状態で、独立して生きている、などと言えるだろうか。
なんて、それこそ偉そうなことを言っているが、やはり親の力は侮れない。
二度目の独立、つまり自分の会社を設立することになった時、
私は必要な資本金を自力で用意できず、結局親から借金をした。
だから、会社を設立した瞬間は、さして高揚感がなかった。
その借金を返し終えた時、ようやく親から独立できたと心底感じた。
もう、それから何十年も経った。父もそろそろ米寿だ。
久しぶりに、父に何か頼ってみようかなと思う。
そういう親孝行の仕方も、あるような気がするので。
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)
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へ、感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜ん
なるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第167号(2019/0214発行)より一部抜粋して掲載しました。
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