増田通信より「ふ〜ん なるほどねえ」149 志と腰の関係
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<最近の明言> 志と腰の関係
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最近はすっかりサボっているが、一時期、私は精力的に著書を出した。
所詮、私の本だから、ただ書店に並べておくだけでは、大して売れない。
セミナーや講演会などの機会を使って即売会を開き、それで少しさばける。
拙著をお求め頂いた方に対し、私は丁寧にサインをする。
相手のお名前、私の名前、日付、そして、座右の銘。
問題は、その座右の銘だ。
実は、今だから告白するが、私は本当の座右の銘を書いたことが滅多にない。
起業系の本を買う人の心持ちに合わせて、多少アレンジして書くのが常だ。
たいていはこう書く。
『夢大きく 志高く』。
決して悪い言葉ではないが、さほど味わいのある言葉でもない。
もっとも、このフレーズをサインペンで本の見返しに黒々と綴ると、
まあ、それはそれで、ある種の感動は広がっていく。
これに比べて本当の座右の銘のほうは、イマイチ字面に勢いがない。
こういうフレーズだ。
『志高く 腰低く』。
やはり、サイン用の文言としては、パッとしない。
だが、この言葉は、起業家に限らず、社会の一員として、
何らかの使命や目的を果たさんとする人にとっては金科玉条だと自負する。
どんなに立派な志を抱いていようと、
態度が不遜であれば、周囲の協力や応援は得られない。
楽勝な目標なら、自分一人の力で達成できるかもしれないが、
高い志に基づく目標なら、どう考えても他者の力添えが必要になる。
したがって、志が高ければ高いほど、腰を低くすべきという理屈になる。
ちなみに『志高く 腰低く』と『欲深く 腰低く』では、腰の低さの意味が違う。
媚(こ)びる、阿(おもね)る、諂(へつら)う……、
そういう腰の低さは、明らかに、欲の深さの裏返しだが、
高い志とセットになる腰の低さとは、いわゆる普通の態度のことだ。
他人様に対する常識的な接し方をすれば、腰は自ずと低くなる。
要は、威張るとか、相手を見下すとか、著しく礼を欠いた態度を取らなければ、
他者は自ずと高い志に共感し、あるいは感銘して、力を貸してくれるものだ。
つまるところ、腰の低さは、心の持ちようひとつで身に付けることができる。
難しいのは、志の高さのほう。
と、思う人がいるかもしれないが、案外、そうでもない。
なぜなら、志の高さに絶対的な基準などないからだ。
その人なりの、そして、その人ならではの志を持てればいいのである。
他人の目から見て、その志が高いかどうかは関係ない。自分の問題だ。
「したいこと」を、「できること」にしようと心に決め、努力する。
それで十分だ。その志は、伝わる人には必ず伝わる。
もう一度書いてみる。
『志高く 腰低く』。
何度も見ているうちに、まあまあ、いい座右の銘に思えてきたのでは?(笑)
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)
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へ、感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜ん
なるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第149号(2018/0607発行)より一部抜粋して掲載しました。
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