増田通信より「ふ〜ん なるほどねえ」113 540円
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<最近の魔法> 540円
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旅先での仕事の合間に、パソコンを使いたくて、適当な場所を探した。
すぐに喫茶店が見つかった。
洋風の建物。よく手入れされた庭。申し分のない環境だ。
ポーチを進み、玄関の扉を開こうとしたとき、小さな貼り紙に気づいた。
「パソコンなどIT機器の店内でのご利用はお断りしています」。
そうハッキリ言われては、諦めざるを得ず、別の場所を探した。
仕事を終えた夕刻、その店が気になり、再訪した。
薪のストーブの熱に乗った珈琲の芳香が、店内に広がっていた。
人一人が座るには十分過ぎるサイズの椅子に座り、マンデリンを待った。
5、6分して出来上がった珈琲は、驚くほど焙煎が強い。
一口味わったら、2分は間をあけないと、二口目を飲むのは難しい。
もとより、パソコンも携帯もさわれない。
ただただ珈琲一杯を飲み干すまで、黙って30分、何もせずに座り続けた。
そこにあるのは、香りと、苦みと、かすかに聞こえる弦楽四重奏だけ。
自然と目をつぶりたくなり、自然と目をつぶる。
目の前に迫った、あれやこれやの案件が頭の中から消える。
考えごとを楽しむ。
とでも言ったらいいような時間が流れていく。
自分が、こんな時間を持てるタイプの人間だとは知らなかった。
いや、私に限った話ではないかもしれない。
本来、普通に営めるはずの時間を、多くの人が失っているのではないか。
翌日も、仕事の後に、その店に立ち寄った。
匂いも音も昨日と同じ。違っているのは珈琲を注いだカップだけ。
今日はドルトン白磁のグリーンだが、昨日はヘキスト白磁の紫だった。
帰り際、店主に尋ねてみた。
「もしかして、カップの色って……」
「はい。そうです」と、彼は微笑んだ。
私の、それぞれの日のネクタイに合わせてくれていたのだ。
マンデリン一杯540円。
私はそれを支払って、魔法使いを雇ったのだと、日常に戻った今、気づいた。
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)
に、NICe正会員・協力会員・賛助会員、寄付者と公式サポーターの皆さん
へ、感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜ん
なるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第113号(2016/12/7発行)より一部抜粋して掲載しました。
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