増田通信より「ふ~ん なるほどねえ」85「鈴虫寺の経営努力」
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<最近の発見> 鈴虫寺の経営努力
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知人に誘われて京都の鈴虫寺を参拝した。
小さな寺だが、入り口から本堂までおよそ八十段の石段がある。
面食らったのは、その石段のかなり下まで行列が続いていたことだ。
聞けば、30分置きに和尚さんがお話をするという。その順番を待つ列だ。
待つのが大の苦手な私は、鈴虫の音を聞いて、庭をブラブラし、
賽銭箱に入れたお賽銭の金額以上の図々しいお願いをして、
そそくさと寺をあとにしようと企んだ。
ところが、そんな私の合理的な目論見は木端微塵に粉砕されてしまった。
相手のほうがはるかに合理的かつ用意周到だったのである。
列に並んで拝観料を納め、茶菓子の落雁を頬張りつつ法話に耳を傾ける。
そうしないことには、虫の音を聞くことができないシステムなのだ。
鈴虫寺こと華厳寺は、京都の中心地から外れた場所にあるし、
同門の臨済宗には、金閣、銀閣、妙心寺、大徳寺、東福寺などの名刹が居並ぶ。
失礼だが、観光拠点として見た場合、華厳寺そのものの競争力は低い。
だからこそ努力されたのだろう。
一年中鈴虫の音を聞くことのできる環境を作り上げ、自ら鈴虫寺と名乗り、
全席入れ替え制の法話サービスを考案した経営努力には頭が下がる。
功徳という言葉がある。良い行いをするという意味だ。
ストイックさこそ功徳の現れと考える向きもあるだろうが、
私は、華厳寺のように宗旨と繁盛の一致点を探る努力こそ功徳だと思う。
さて、肝心の和尚さんの法話。これが大層ためになる。
教わった言葉をひとつ紹介しよう。和顔愛語(わげんあいご)。
にこやかな表情で、優しく語りましょう。そんな意味だろう。
その反対になりがちな自分を恥じ、今後の心の標語にしようと誓う。
実際、和尚さんは終始にこやかで、驚くほど柔らかな言葉遣いだった。
まさに言行一致である。だが、和顔愛語の大切さを知らない私は心の中で、
「この坊さん、もしかしてオネェなのか?」と疑う有様だった。
恐るべき俗物だ。だがこんな俗物でも功徳を積めばどうにかなるかも……。
そんな安寧を授けてくれる秋の鈴虫寺であった。
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増田紀彦NICe代表理事が、毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)
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へ、感謝と連帯を込めてお送りしている【NICe会員限定レター「ふ〜ん
なるほどねえ」スモールマガジン!増田通信】。
第85号(2015/10/7発行)より一部抜粋して掲載しました。
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