pickup! NICe日記 第10回 古屋文隆さんの『ただ、その一瞬の感動のために』
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全国各地の異なる業種・地域・世代の人々が出会い学び合うNICeのSNSの中から、
ご本人の承諾を得て、投稿したNICe日記を転載。
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2013年8月11日 新宿モア4番街 第九フラッシュモブ。
総勢170名のオーケストラと合唱団による第九が、
世界で最も人が集まる新宿駅東口の街角で鳴り響きました。
2013年2月23日、発起人の海東和貴さんが、
「日本でクラシック音楽のFlash Mobを企画のひとつとしてやりませんか??」
と東京青年会議所新宿区委員会のフェイスブックグループに書き、
スペインのサバディ広場で行われた第九フラッシュモブを紹介したのがはじまり
です。
動画を見た私は、直ぐに音楽監督兼指揮者である柳澤寿男さんに
「世界平和コンサートの第一歩として、新宿で第九フラッシュモブやりましょう!」
と話し、4月の会合にて、プロジェクトチームが立ち上がりました。
とはいえ、”何もない”ところからの出発。
場所と企画と指揮者だけが決まっても、
オーケストラもいなければ、合唱団もいない。
演出家もいなければ、映像撮影者もいない。
警備に関する経験者もいなければ、手伝ってくれるスタッフもいない。
まさに手探りで、依頼をしては断られ、
「これは無謀でしょう」とか「警察の許可がおりない」
など、至極当たり前の事を言われ、実現できる保障は何もありませんでした。
流れが変わり始めたのは、キャスティングで協力を申し出てくれた長川さんが、
合唱協力でサフロファミリー70名の協力を取り付けてくれ、
彼女の親友である福井さんがオーケストラメンバーを有志を33名も集めてくれ、
更にアマデウスソサエティオーケストラの十川さんが加わり、
総勢50名のフラッシュモブ専用オーケストラが結成された頃からです。
最大の難関は、演出家を探すこと。
野外でしかも天候リスクもあり、本番練習が出来ない状況下で、
手を挙げてくれる人は常識で考えて誰もいませんが、
青柳敦子さんが一ヶ月前に演出を引き受けてくださいました。
この企画を当初から現実的な視点で、建設的な意見を頂いたのは品川一治さん。
日頃から映像に関わる仕事をして頂いており、
当初から、この企画の最大の問題点である
「導線確保」と「映像としてのクオリティー」を訴え続けておりました。
何度も、スペインや羽田空港のフラッシュモブ映像を見ながら、
裏方の動き、映像カメラの数、そして、
成功させる上での指示の出し方、動作確認の練習。
映像を取るために妥協せず、当日は5台のカメラと音声設備を張り巡らせ、
臨場感溢れる動画を作成頂きました。
この場には書ききれない程、多くの方のご協力を頂き、
一人でも欠けていれば、この事業は成り立ちませんでした。
全ての関係者に心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。
今回のフラッシュモブの主役は、50名の演奏者。
120名の合唱者。合計170名の皆様です。
開始数日前に参加を頂いた方もおられます。
人生を懸けて病気と戦いながら歌ってくださった方もおります。
2014年6月28日にサラエヴォ事件100周年を迎え、
戦争の世紀に終止符を打つ日本人指揮者による
第九平和コンサートを実現するための第一歩として、
新宿モア4番街で行われた第九フラッシュモブにご参加を頂きまして、
誠にありがとうございました。
※2013年8月14日投稿
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東京都新宿区/NICe正会員・古屋文隆(ふるや・ふみたか)さん
株式会社アポーメンテナンス 代表取締役
志成会 代表