列島改造論の根底に流れていた理想
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「増田紀彦の視点 どうする?日本経済」
第18回
列島改造論の根底に流れていた理想
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【多くの批判を生んだ列島改造論】
田中角栄元首相が他界してすでに20年。
今では、元首相が提唱した「日本列島改造論」を知る人も少ないだろう。
もっとも、政府が高速道路や新幹線による高速交通網の整備を、
熱心に推し進めてきたことは、多くの人が知るところだ。
その政策の根拠になっていたのが、列島改造論である。
当時、国を挙げて取り組んだこのプランは、
地価の上昇を引き起し、ついにはインフレを発生させてしまう。
また、結局「儲かるのは土建屋だけ」という批判を招き、
それが、後々の「公共工事は悪」というイメージの元にもなってしまった。
【なぜ、列島改造だったのか】
だが私は、元首相がこのプランを訴えるに至った動機には共感する。
書籍化した『日本列島改造論』の「むすび」の一部を引用する。
「人口と産業の大都市集中は、繁栄する今日の日本をつくりあげる原動力であっ
た。しかし、この巨大な流れは、同時に、大都会の2間のアパートだけを郷里と
する人びとを輩出させ、地方から若者の姿を消し、いなかに年寄りと重労働に苦
しむ主婦を取り残す結果となった。(中略)かくて私は、工業再配置と交通・情
報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大
都市から地方に逆流させる“地方分散”を推進することにした」
どうだろう。40年以上前の文章とは思えない切実さを感じないだろうか。
元首相は新潟県中越地方の出身。寒冷地の貧困を痛感していた人であり、
今で言う地域格差を何とかせねばという思いが、ひしひしと伝わってくる。
だが、批判的に言えば、この文章が「古くさく感じない」のは、
今も、この課題が解決されていないからであり、であれば、列島改造論は、
その理想を叶える方法としては不適切だったということになる。
【出稼ぎの歴史にピリオドを】
信越地方や北陸地方、そして北海道や東北の多くの地域の経済活動が、
冬期、降雪と積雪によって大きく制限されることはご存じのとおり。
とくに、屋外を基本的な職場とする一次産業は、もろにその影響を受ける。
だから出稼ぎに就いた人の多くは、農家の人たちだった。
寒冷地から都市にやってきた人たちは、慣れない環境の中、
厳しい労働と周囲の差別に耐えて働き続けた。
出稼ぎの悲しい歴史を綴った記録は多々あるので、詳細は割愛する。
ただひとつだけ書いておきたいことがある。
高度成長期に少年だった私も、当時、新潟県や東北地方の人々の方言を
揶揄した経験がある。恥ずかしいことをした。
私は、今、寒冷地の農家が、冬でも収入を得るための手伝いをしているが、
私の少年期の負債が、私を突き動かしているのは事実だ。
【芽が出てきた冬の農業】
田中元首相の現役当時は、「冬に農業など不可能」と思っていたはずだ。
その考えをひっくり返さないと、本当の意味での列島改造は進まない。
実際、そうした取り組みが徐々に芽を出し始めている。
それこそ新潟県の中越地方では、降雪後に掘り出す「雪下にんじん」が
有名になってきた。それを加工したジュースも、好価格で販売されている。
また、福島県の会津地方では、雪下キャベツの栽培に取り組んでいる。
冷たいと思われる雪だが、雪の中は零度以下にならないため、
作物は凍りつかず、むしろ、そのままの状態で糖度を増していく。
あるいは北海道の十勝地方では、
温泉熱を活用した、冬のマンゴー栽培が広がっている。
ほかにもまだまだ、様々な挑戦が行われている。
それらの作物や加工品を、市場と結びつけることか私の使命だ。
四季を通じて営める農業(と加工業)の確立は、
結果的に、TPPによる「市場の冷え込み」への処方箋にもなるだろう。
<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>
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「つながり力で起業・新規事業!」メールマガジンVol.19(2014.0621配信)
より抜粋して転載しました。
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