増田通信より「ふ~ん なるほどねえ」31 復興というより、新興かもしれない
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2月に続き、6月にも2泊3日で岩手県釜石市におじゃました。
震災時の津波で死者・行方不明者1000人を超えた大災害地だ。
この地で、2度目の起業セミナーを開催した。
毎度のことながら、身の引き締まる思いがする。
釜石市といえば、我が国製鉄所発祥の地であると同時に、
水産加工の町でもある。いや、「だった」というべきか。
水産加工場には建屋もでき、機械も導入された。注文も十分ある。
にもかかわらず、生産量は震災前のレベルに、まったく及ばないという。
加工に携わる人手が圧倒的に不足しているためだ。
パートさんたちが、職場に戻ってくれないのだそうだ。理由は主に3つ。
1.震災直後の解雇をめぐる気持ちの問題
2.職場と住居が離れてしまった問題
3.待遇にまさる大手スーパーが人員募集を予定している問題
1の気持ちの問題は、ある意味一番難しい問題だが、やりようはある。
しかし、2と3は難題だ。
かつては港近くにある加工場に、同じく港近くに暮らす人たちが通った。
だが、住居を消失してしまった人たちは、市外や県外に移ったり、
市内にいても、港から離れた仮設住宅に移ったりしたため、通えないのだ。
そこに、はるかに待遇のまさる大手スーパーが出店を発表し、
400~500人の地元採用が予定されているというから、どうにもかなわない。
ちなみにスーパーの出店は、政府の復興特区方針に基づくもの。
釜石市の産業構造は大きく変わらざるを得ない。
経営規模の小さな加工場では、賃上げや交通費の全面支給、
ましてや冷暖房がきいていて、きれいな服で働ける職場を用意するなど
どうころんでもできない相談だ。
生き残ろうと思えば、各社が合併して大規模化し、体力をつけ、
人手に頼らずに済むよう、莫大な投資をして作業を自動化する……。
これまた、とうてい容易ならざる話だ。
震災の恐ろしさは、物理的な打撃の凄まじさに加え、
以降の生活や経済の仕組みを激しく変えてしまうことにあると実感した。
この、あまりにも辛く、激しく、厳しい変化を、どう考えるべきか。
「チャンスと考えるべき」。
と、書くのに、私は何日間も悩んだ。
だが、やはりそうだと思う。そうだと思う以外の考え方はすべて感傷的だ。
「結果的に震災が今の私たちの生活と産業を生み出したのかもしれない」。
将来、そういう言葉が語られるようになるためのお手伝いをしようと思う。
政府や大手企業だけが被災地の経済活性を進めるわけではない。
NICeが被災地において、雇われずに働く人を生み出すべく奮闘することも、
ピンチをチャンスに転化するための取り組みだと、確信する。
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増田紀彦NICe代表理事が、
毎月7日と14日(7と14で714(ナイス)!)にお送りしている
【NICe会員限定レター/「ふ〜ん なるほどねえ」スモールマガジン!】
増田通信・第31号(2013/07/08発行)より、抜粋してお届けしました。
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