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NICe大宴会in福島レポート


「共に笑い、共に喜び合う」から始めたい。

NICe大宴会in福島は明日への第一歩




2012年2月11日土曜日。
東日本大震災と福島第一原発事故から1周年を迎える日のちょうど1カ月前、
福島市内のホテルサンルートプラザ福島で【NICe大宴会in福島】が開催された。
被災地での大宴会に参加しようと、全国18都府県から集まったのは、
NICeユーザーを中心とした85人。
大盛況の中で行われた大宴会の模様と、開催に至った経緯をレポートした。



■■なぜ福島大宴会は開催されなくてはならなかったのか■■



2月11日。【NICe大宴会in福島】の会場はこれから始まるイベントへの期待で、熱気に包まれていた。予定の時刻が来ると会場内の照明が消され、ステージ正面のスクリーンには、黄色っぽいジャージを着た男の夜道を走る姿がぼんやりと映し出された。外部からの中継映像に映るその人物はいったい誰なのか。それが判明した場内はどよめきと、爆笑とも失笑ともとれる笑いに包まれた。

コーチ役の女性にハリセンで叩かれながら宴会会場に現れたのは、NICe代表理事の増田紀彦氏だった。マラソンの生中継時間は2分40秒。日ごろ運動不足の彼にはわずか1キロの距離でさえ、走るのは難しかったであろう。しかし、増田氏の「マラソン」は、そのずっと以前からスタートしていたのだった。なぜマラソンだったのか。なぜ福島大宴会は開催されなくてはならなかったのか。



▲2012.2.11 14:22


■■壊滅された街の中での笑い声は未来への希望■■



震災から1カ月半が経過した2011年4月25日。被災した福島県新地町、相馬市、南相馬市に増田氏の姿があった。福島市在住のNICe正会員・鈴木晋平氏の案内で、現地に赴いた増田氏が目の当たりにしたのは、破壊されつくした街の光景。その惨状に、声も出なかったという。

増田氏一行はその日、偶然通りかかった高齢者デイケア施設に立ち寄り、東京から持ち寄った物資を手渡した。そこで働く若いスタッフたち自身も自宅を流され、避難所から通わなくてはならない状況の中、その日やっと業務再開の準備に手をつけ始めたところだった。スタッフたちと短い懇談を終えたその別れ際、増田氏が放ったジョークが、大きな笑いを誘ったという。

「その時はっきりと気づきました。瓦礫を取り除いたり、放射能を除去したりすることに対しては、自分はまったくの無力。でも被災された方々の気持ちに寄り添うことならできると」

壊滅した街の中では、笑い声が未来への希望となりうる。そう悟った増田氏。もともとジョークで人を楽しませるのは得意。それならば被災者に笑いと喜びを通じて希望を分かち合える道を探そうと決意したという。

  
▲2011年4月25日、福島県新地町、南相馬市原町区北原



■■「福島に来てくれてありがとう」■■



さらにそれから5カ月後の9月6日。福島のNICeの仲間たちを訪ねて懇談していた際に、印象に残ったことがあった。それは彼らが口々に「福島に来てくれてありがとう」と言っていたことだ。

「放射能被害は深刻さを増し、福島に出かけるだけでも怖いという人が少なからず存在するのは事実。そんな中で、現地を訪れるだけでも喜んでもらえるというのは、実に大きな発見でした。福島の経済は元気をなくしています。しかし、地元の飲食店街は思いのほか充実し、いい店、美味い店が数多いんです。現地で飲み食いするだけでも応援になるのではないか。応援する人と地元の人が共に笑い合えれば、そこに希望が生まれるのではないか。そこで自然に思い至ったのが、福島に大勢が集まって飲み食いをするという企画でした」

実は震災直後の3月14日。増田氏はNICeユーザーに発信したメルマガで、「被災地でイベントを開催する」という趣旨のことを書いていた。

「被災地に思いを寄せながらも、何をしたらいいのか、自分が行っても……と、尻込みしている人も多いでしょう。しかし、敷居をうんと下げて、現地の仲間と交流し、その地域のものを食べ、そこにお金を落とすことで、今後の支援のきっかけづくりにしたい」

【NICe大宴会in福島】プロジェクトは、そうした思いが結晶したものだった。かくして大宴会開催への準備作業が始動した。
当初は福島市内の居酒屋を舞台に、少し大きめの飲み会という想定だった。しかしその後、参加希望者が続々と集まりはじめた。“大宴会”と銘打って「唄って踊るドンチャン騒ぎ」を決行するからには、より大きな会場が必要ではないか。全国からわざわざお金を使いに集まるのだから、現地の生産者がその場で産品を販売できるようにしたらどうか。構想がどんどん膨らむ一方、当初予定していた店では収容できないとわかり、その条件を満たせるのはホテルの宴会場規模という話になった。そして、受け入れてくれたのが、ホテルサンルートプラザ福島。【NICe大宴会in福島】の舞台が決まった。



■■どうしても3.11の前に開催したかった■■



いかにして全国からの参加者数を増やし、現地まで連れて来ることができるのか。そこで、県外からの車での参加は、4人一組以上で車を利用することを条件に、往復の経費をNICeの震災復興支援活動資金から拠出することに決めた。だが、さまざまな難関があった。車両や運転手の手配や乗車の割り振り。また現地のホテルの手配と部屋割りにも四苦八苦した。車両と運転手、ホテルの手配は、個別に声をかけながら行っていったが、日ごろ培ってきたNICeのネットワークが大いに役立った。

問題となったのは天候である。2月の福島は、まだ降雪がある。慣れない雪国に車で来る人々の安全を確保しながら、無事に現地入り・帰着してもらわなければならない。

「暖かくなってから開催するという手もありましたが、どうしても3.11の前に開催したかった。『1年以上も経って今頃やっと』というのではなく、3.11一周年にみんなが次の一歩に踏み出すための起爆剤にしたかった」

幸いにして地元福島の参加者たちが、県内の天候や道路状況を逐次報告してくれる体制が整った。宴会前日の郡山でのセミナーを終えて福島市内入りしていた増田氏は、「全員が安全に到着してほしい」との思いから、現地隊長である五十嵐勝氏、物販隊長の本部映利香氏、NICe広報担当の岡部恵氏らと共に、会場に程近い福島稲荷神社へ安全無事を祈念して参拝したという。福島市内に降った雪もやがて収まった。

2月11日正午過ぎ、増田氏はNICe日記のコメントにこう書き記した。
「福島、信じられないくらい晴れてきました!熱気晴れです!」

同時刻、すでに参加者たちが続々と福島を目指して全国から移動を始めていた。ほとんどの参加者は早朝に出発。青森、秋田、山形、埼玉、千葉、東京、神奈川の各地から福島市へとひた走った。大変だったのが関西隊だ。前日21時に兵庫県姫路市を出発したバスは、途中、新大阪、京都、滋賀県大津でメンバーをピックアップし、30人が乗り込んでいた。万が一の雪に備えて、当初の予定の北陸道経由を変更。東名高速から首都高を通り、東北道に抜けるという長い経路で、14時間をかけて福島入りを果たした。



■■全員が顔を合わせた一度きりの打ち合わせ■■



当日夕方4時。ホテル近くのイタリアンレストラン『オルティボ ピアット』に大宴会実行委員が集まって、事前打ち合わせが始まった。前日から現地入りしてホテル側との交渉などを行ってきた岡部氏が、現状の報告を行う。分刻みでスケジューリングされた進行台本に従い、全員の役割分担をひとつずつ確認していく。実行委員の中心となったのはNICeのSNS内コミュニティ・震災復興支援委員のほか有志の人々。彼らは12月からメーリングリストなどを活用して、着々と準備作業を進めてきた。大宴会の構成が決まったのが1月末。スケジュールは2月7日の深夜に確定した。

そして実行委員全員が同時に顔を合わせて打ち合わせをしたのは、この当日の夕方、一度きりだった。にもかかわらず大宴会がスムーズに進行したのは、実務に長けた起業家ぞろいのNICeなればこそだろう。自分の持ち場は責任を持ってきっちり守り、あわよくば他の人の分までカバーする。NICeな面々の本領が発揮された場面であった。

   

その後、会場内で準備作業をスタート。直前、全員が円陣を組んで気合を入れる。音響、映像、受付、座席表、物販、ブース設置、装花・・・。それぞれが得意分野を生かしながら準備が進められていった。

   



■■開けてはいけない危険な店のドア■■



「参加の呼びかけと車両の手配で超多忙」と言いながらも、実は増田氏が極秘で構想を進めていたのが、冒頭でご紹介した“マラソン企画”だ。24時間チャリティ番組のマラソンのパロディ版である。アフロとパンチの判別がつかないビミョーなヅラ。胸に“微糖”と書かれた黄色っぽいジャージ。あえてキッチュな格好を選んだのは、上から目線のチャリティではなく、あくまで現地の人々と対等の立場で一緒に楽しみたいという思いの現われだったろう。

マラソンコースの下見は1月下旬、現地隊長の五十嵐勝氏と、副隊長の松尾章次郎氏、NICe理事の小林京子氏が行っていた。

そして当日夕刻、厚意で控え所として店を貸してくれた福島稲荷神社参道のバー『ラブソング』には、ランナー役の増田代表理事、SP役の横見全宣氏、コーチ役の本山実里氏、通行人役の相良好美氏、映像カメラ担当の横山岳史氏、そしてレポ担当の筆者・鈴木が集合。本番前に一同が店内で待機していると、店にやってきた一般客が、「どう考えても開けてはいけない危険な店のドアを開けてしまった」という表情で、入り口で凍りついた。

 

大宴会がスタートした午後6時30分。福島稲荷神社前で会場とコンタクトを取り合っていた映像カメラ担当の横山氏がゴーサインを出し、マラソンのライブ中継がスタートした。ホテルまでのルートで立小便をしようとしたり、通りすがりの女性(実は相良氏)に襲いかかるなどのボケをかます増田氏に対し、サーカスの動物を叱りつける調教師のように本山氏が容赦なくハリセンを飛ばす。すれ違う通行人から投げられる冷たい視線が痛い。のどが渇いたと言わんばかりに自動販売機でドリンクを買おうとする増田氏に、紙パックのジュースを浴びせかけ、さらには会場到着直前、寒い路上で増田氏の顔面にソフトクリームを押し付ける演出は、本山氏たちのサプライズ企画。最後は増田氏自身が見事に裏をかかれたのだった。

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■■出会うはずがない100人の奇跡の出会い■■



よろめきながら会場にたどり着いた増田氏を待っていたのは、呼びかけに応じて全国から集まった大勢の参加者たち。

「今日は本当によくお集まりいただきました。昨日の朝、東京のNICeの事務局から走り始めて、すぐにタクシーに乗り東京駅について新幹線でやって来ました(笑)。走る距離よりも、走る内容で勝負できればと・・・。とんだ猿芝居でしたが、お楽しみいただけたでしょうか」

参加者への感謝とマラソン中継への照れがないまぜになった挨拶に対して、場内からは温かな拍手が起こった。それに続いて増田氏は大宴会の開会を宣言した。
「それでは、ただ今より、2.11NICe大宴会in福島を開催いたします!」

 



続いて参加者宣誓を司会の五十嵐勝氏と小林京子氏が行った。



さらに、乾杯の音頭をとる人物として、司会の小林京子氏が会場内から、“いちばんコスプレがさまになっている男女”をピックアップ。指名を受けたのは、大阪から参加しセーラー服で女装した山浦一輝紀氏と、京都から参加し天使に扮した鳥本香織氏。「今日は一日楽しみましょう」というふたりの乾杯の掛け声とともに、会場から湧き上がった乾杯の声。



会場を見回せば、思い思いのコスチュームを身にまとった参加者たちが一斉にグラスを合わせる姿があった。一見よくわからない妙な人々の集まりだ。だが各人各様のコスプレは、まさに仲間たちとの時間を思い切り楽しもうという意志の表れだったろう。福島大宴会は日ごろからNICeのSNSで交流しているユーザー同士が、リアルで顔を合わせるオフ会の意味合いもあった。会場内のあちらこちらで話に花が咲き、お互いに写真を撮り合っては盛り上がる。何もなければ出会うはずがない85人、そして地元参加者も含め100人もの人が、福島の地でビールや酒を注ぎあい、テーブルの食事を楽しみながら、旧友のごとくに歓談する。奇跡のような時間が始まった。

   

   


▲参加者の度肝を抜いたのが司会者ふたりのコスプレ。宴会スタート時はおかたいスーツ姿だったが、いつの間にか、五十嵐勝氏はクイーンのボーカル・故フレディ・マーキュリーに、そして小林京子氏はレディ・ガガに大変身


▼県外から集った各車両“部隊”ごとに“舞台”あいさつ。新幹線でかけつけた参加者も一緒に壇上へ



▲青森、秋田、山形から参加した東北隊の参加者たち。秋田の大学で学ぶ福島県出身の学生たちも参加した。彼ら自身も相馬市、南相馬市、浪江町などの被災地の出身


▲埼玉、三重、新潟というバラバラなエリアの参加者が集まった埼玉隊。ハードゲイとブルマー姿のちょっと過激なパフォーマンスで客席をざわめかせた


▲千葉からは2部隊が参加した。「ひとあし早い春の薫りを福島のみなさんへ」と、南房総の菜の花と水仙、ストックを手配してくれたのは、千葉部隊の三島照美氏。 お花部隊&千葉の仲間たちが円卓と舞台に飾ってくれた


▲宴会の準備体操として隣の人とペアを組み、「FUKUSHIMA」の人文字をつくるゲームで会場を盛り上げたのは、東京隊・神奈川隊の参加者たち


▲長距離バスで14時間の道のりにぐったりした人も多いはずが、いざ酒と笑いが入る場になると、疲れが吹き飛びシャキッとする関西隊の面々


■個人パフォーマンス■



宴会のプログラムでは個人パフォーマンスも設けられ、8組がエントリー。エントリー料として200円以上の気持ちをNICe震災復興資金へ寄付し、登壇してくれた参加者たち。


▲中国出身の高旭氏は大阪から参加。「日本は明日きっとよくなります」というメッセージを日本語と中国語の両方で披露。この後、参加者に寄せ書きを呼びかけた


▲神奈川から参加した茅原裕二氏は、毎月定例参加しているイベント開催日と重なり、迷った挙句に福島に来ることを選択したという。3月10日に南三陸町で主宰する『さとうの日』への参加や協力をお願いした


▲2011年3月12日に発生した長野県・新潟県県境付近の地震で、実家が倒壊してしまったという本山実里氏は、その家への思いを自ら歌にしてデモCDを製作。ステージで披露した


▲志村けんの白鳥の湖のいでたちで登場したのは、和歌山から参加した佐藤寛司氏。ヘリウムガスを吸い、声を変えて「東村山音頭1丁目」ギャグを狙った。身体を張ったその勇姿に乾杯!

  
▲漫画「ワンピース」のルフィに扮したのは、姫路から参加した薬師寺恵美氏。アニメの主題歌に合わせて会場内を元気に踊り回るパフォーマンスで参加者を魅了した

また、他のイベントと重なり、残念ながら参加がかなわなかった名古屋のNICeな仲間たちからは、福島へのメッセージ映像が披露された。

そして福島市内で歯科技工の会社を経営する五十嵐勝氏は、自ら加工製作したセラミック義歯のピンバッジをオークションに。白鳥姿の佐藤寛司氏が高額で落札し、全額NICeの復興支援活動資金に寄付。


▼秋田県横手から参加した鈴木尚登氏は、この日参加できなかったNICeな仲間・鎌田洋平氏から託された『秋田県南かもし隊!の味噌』20キロを持参

その傍らでは味噌を袋詰めする人々は、秋田、東京から参加した混合構成の“味噌部隊”の面々。参加者全員に配布するための袋詰め作業を行っていたのだった。
「この味噌は『秋田県南かもし隊』でつくったもの。味噌は放射能に効くとも言われ、福島に味噌を贈ろうと多めにつくって持ってきました。秋田の味噌はちょっと甘いが、無農薬の大豆、天然塩、米麹でつくった無添加です。お配りするのでぜひワカメの味噌汁にして飲んでほしい」と、鎌田氏に代わって鈴木氏が紹介した



■■生産者はモノを買ってもらえることが一番うれしい■■



大宴会の目玉プログラムのひとつが、福島県内の生産者による物販タイムだった。参加した7組の生産者は、いずれも増田氏が郡山市で講師を務める『ふくしま6次化創業塾』の受講者たち。増田氏が声をかけたところ、出店の快諾を得られたという。

まずはステージ上で販売者たちが自己紹介。野菜、漬物、農産物加工品、泡盛、醤油、パン・・・。いずれも地元の食材を使った自慢の食料品だ。印象的だったのは「募金をいただくのもありがたいが、私たち生産者は物を買ってもらえることが一番嬉しい」というコメントだ。まさに現在の福島の農業生産者が共通で叫びたい本音だろう。

物販タイムが始まると、会場内の販売ブースに参加者たちが押し寄せて、生産者たちと言葉を交わしながら商品を次々に買い求めていった。「この日のためにアルバイトで頑張って貯めたお金を、今日は目いっぱい使おうと思ってきました」と目を輝かせる学生たちも。顔をほころばす生産者たち。商品は飛ぶように売れていき、売れ切れてしまう商品も続出した。

  


▲伊達市霊山町から参加した有限会社八島食品さんの八島徳子氏と岡崎貴子氏らは、野菜独自の食感と素材を生かした自慢の浅漬けを持参した。会場ではナスとヤマイモの試食を行ない大好評。聖護院カブとともに完売した


▲福島産米を沖縄県に送って泡盛を造っている石川町の合同会社あすかエコテック代表・角田信氏。「データに基づいた安全な製品なので、ぜひ一歩一歩前向きにご協力ください」と、ふくしま米泡盛『三拝云2009』、や唐辛子製品の『鬼のなみだプレーン』を販売


▲復興を願いフラガール姿で参加した柳沼美千子氏。須賀川のパン工房で健康にいいパンづくりに取り組んでいる。いい物を食べて健康で元気に!のモットー通り、笑顔と元気を場内にふりまいた


▲創業50年の老舗・玉鈴醤油の若大将・鈴木利通氏は伊達市から参加。「福島の醤油が全国に受け入れられるかはわからないですが、味は保証するので食生活のプラスになるようにぜひ買ってください」


一般社団法人 えがお福島金子幸江氏は、福島で生産された野菜の詰め合わせセットを持参、5色にんじんセット、卵かけセットなどを販売。また、シイタケ農家の渡邊広さんも自慢の肉厚シイタケをPRした

 
伊達物産株式会社/株式会社グリーンファームの清水氏・菅野氏らは、伊達鶏を使った伊達鶏キーマカレー、伊達鶏にんにく肉味噌などの商品を持参。自社サイトでは頻繁に、放射能に関する安全証明書をアップして安全性をアピールしている


阿部農縁の寺山佐智子氏は、「何とか風評被害を拭い去り福島の農産物を食べてほしい」と、リンゴジュース 古代米玄米 焼肉のたれ、など無添加・無化学調味料の商品を中心に販売した



■■現地に行かなければ、わからないものを見に来た■■



関西からはラジオ関西の番組『届け!ラジオ魂』のパーソナリティ・KYOHEY氏、プロデューサー・浦英之氏、ディレクター・東雄一氏ら3名が、放送局がある神戸からはるばる参加した。毎週金曜日の21時から40分間、毎週東日本大震災のニュースを流している番組である。「現地に行かなければわからないものを見に来た」というKYOHEY氏。



「神戸の放送局から被災地の支援につながるように放送をしています。今日、福島に到着してまず飯舘村と南相馬市に行きました。警察がいる立ち入り禁止の場所に立ってみなければわからない、目に見えないものの恐怖がわかりました。今日は誘っていただき感謝しています。僕は放送でも泣いたりするけれど、それでええんちゃうかと思います。大切にしたいのは人。困っているのを助けるのは人でしかありません。遠く離れている関西からも何かしたい人はたくさんいます。その一つ一つを伝えられればと思っています。僕たちは関西から福島を忘れていないしこれからもしっかりと応援します!」


▲原発事故後の状況や国の対応について、地元の五十嵐氏に話を聞くラジオ関西の面々


▲会場内で回された寄せ書きは最後に、和歌山から参加した黒江政博氏が代表し、大宴会に全面協力してくれたホテルサンルートプラザ福島さんへ贈呈した



■■「I love you & I need you ふくしま」■■



大宴会はフィナーレへと近づいた。この日のメインイベントのひとつがこの大合唱だ。もちろん曲は、NHK紅白歌合戦でも話題となった猪苗代ズの『I love you & I need you ふくしま』。この瞬間のために参加者たちは、福島に向かう車中で何度も繰り返して練習し覚えてきたのだ。ステージには、ギターを手にした永山仁氏(大阪府摂津)、井居義晴氏(滋賀県大津)、石井英次氏(埼玉県桶川)たちが上がる。

「今日は、北は青森から西は広島まで、いろんなところから大挙して車を出して、14時間かけてやってきました。代表は変な格好だし、へんちくりんなコスプレの奴もいる。福島の方々から見ると、『何しに来たんだ?』と思っているかもしれない。でも、県外から集まった人たちは、何とかしたいが、どうしていいのかわからない不器用な奴ばかりなんですよ。福島を応援しようという呼びかけに応じて、集まった人たちなんですよね。この2.11のNICe大宴会が、県外と福島のつながりのきっかけになればいいなと思っています。みんな福島が大好きです。福島のために唄いましょう!」

永山仁氏のメッセージとともに、イントロが流れギターの音が響き渡る。合唱が始まった。最初は手拍子を打つだけだった参加者たちは、誰からともなく肩を組み始め、つながり合った。やがて歌声は大きなグルーヴとなって会場内に広がった。小さな一歩、小さな結びつきが強い連帯につながっていく。まさにそれを象徴する光景だった。

「みんなが自然と肩を組んで一体となった。それは仕込みでもなんでもなく、まったくの予想外のできごとで、私も思わず熱いものがこみ上げました」と増田氏は振り返る。

  

 



大宴会も大詰めを迎え、地元福島の人々がステージ上に上がった。現地隊長の五十嵐氏が参加者に感謝のあいさつを述べた。
「なんてお礼を言っていいかわからない。本当にありがとうございます。泣きそうです。みんな福島が好きです。頑張っています。また来てください。お願いします。ありがとうございました」



拍手喝采の中、ステージ上の人々の声に応えるように、新潟県小千谷市から参加した高橋慶蔵氏が学ランを着て、鉢巻を締めながら登場。会場内の空気も一気に引き締まる。

「福島にNICeの思いを届けるためにエールを打ちたいと思います。NICeは東北を愛してます。福島、宮城、岩手、青森を愛しています。明けない夜はありません。やまない雨はありません。あきらめずに生きましょう」という熱いメッセージに続き、腹の底から声を振り絞り、「フレーフレーふくしま」のエールが会場内に轟いた。



最後は滋賀県草津市から参加した松田尚三氏の一本〆で【NICe大宴会in福島】はその第一部の幕を閉じた。





■■本当にやったのはあんたたちが初めてだ■■



二次会もしっかりとセッティングされていた。場所は『ふくしま屋台村 こらんしょ横丁』。飲食業で起業した人たちのインキュベーション施設である。この場所を二次会会場にと提案したのは、現地副隊長を務める松尾章次郎氏。起業家を中心としたNICeだけに、地元の起業家たちを応援したい。屋台側との交渉から手続きまですべて手配してくれたのが松尾氏だ。屋台村の店主たちからも大いに歓迎されたという。だが嬉しい誤算も。当初は二次会の参加希望者全員が屋台村で盛り上がる予定だった。遠方からの参加者も多く、大宴会の半数ぐらいが二次会に参加すると見込んでいたが、全員近くが参加を希望したのだ。しかも、土曜の夜ということもあり、屋台村は地元の一般客が予想以上に多数来店。全員が入れない。そこでやむなく周辺のいくつかの店に分散することになった。が、これが期せずして大宴会とは関係ない地元の人との交流につながった。

 



「福島にみんなで集まって飲み食いしようという話はよく聞くけれど、本当にやったのはあんたたちが初めてだ」という言葉が、あちらこちらで聞かれた。そして3次会、4次会へと……。多くの参加者が朝方4時まで、あちらこちらで飲み、そして語り合った。

やがて三々五々、夜更けすぎに降り始めた雪の中を、短い睡眠をむさぼるためにホテルに戻っていった。

そして翌朝。関西隊は朝9時に出発。東京・埼玉・千葉・神奈川隊は飯坂温泉に立ち寄り、さらに地元の食堂で餃子を平らげた後、それぞれの街へと帰っていった。




■参加者コメント■


「地元の人と接して宴会が本当の意味で実感できた」、「テレビからはわからない福島の雰囲気が少し理解できた」、「初リアルの方々にお会いできたり、お久しぶりですの面々の相変わらずなハジケッぷりを鑑賞できた」、「バスに揺られる時間が長かったが、一生に一度の経験ができた」など、参加者の感想はそれぞれだ。抜粋していくつか紹介しよう。

・菅野理通氏(秋田県)/福島県浪江町出身。実家は幸い津波から難を逃れた。彼らは福島県から秋田に避難している人々を支援するために『福島の集い』というボランティア活動を行っているという。「今回は新聞で紹介されていた大宴会の記事を見て興味を持ち、参加しました。普段接することがない皆さんとの出会いに興味津々です」

長谷岡勲氏(神奈川県)/「震災発生時はグアテマラを旅行中でした。エジプトで革命が発生した際には現地にいましたが、人々の関心事は食料の確保。今後、日本で、もしもの状況が起きたとき、食糧確保はどうするのか。非常に大きな問題だと思います。今回、福島に来て、現実とメディアが伝える内容とのギャップを感じました」

赤池大樹氏(三重県)/「2次会の屋台村ではたまたま除染に携わる方と話す機会がありましたが、テレビの報道とは違う話が聞けたのが非常に印象的でした。NICeのイベントには何度か参加していますが、今回はいつもとは違う新鮮な一面が見られたような気がします。福島を応援しようという“本気”が見えたのが素晴らしいと思いました」

・峠谷道也氏(奈良県)/「NICeのみなさんは個性的なだけではなく、お笑いありでとても新鮮なイベントだったと思います。初参加でしかも知り合いと席がバラバラだったのですが、すぐに溶け込むことができました。今後、東北エリアで仕事をする可能性も出てきたので、こちらの方々と出会えたのも大きな収穫でした」

山田みちこ氏(東京都)/震災後、被災した福島がどうなっているのか視たいという思いから参加。市街地の商店街に空きテナントが目立ったのが気になったという。「NICeのリアルのイベントには初めて参加しました。NICeの人たちだけではなく、福島の皆さんとも一緒になって盛り上がることができたのが、非常に心に刻み込まれました」


■■今回の大宴会が次のつながりへのきっかけに■■



「福島の産品は怖がって買ってもらえないかと思っていた」。出店した生産者たちの多くがそう話す。事実、なかなか商品が売れない現状があり、いかに売るかのために四苦八苦している。しかし今回は多くの参加者が購入して大きな売上げにつながり、手ごたえを感じた生産者も多かったようだ。なぜ購入につながったのか。「それこそが、現地で出会ってつながった人と人との縁の力だ」と、増田氏はいう。

「仲間意識があったからこそ買おうと思ったということです。仲間意識が経済にはおいても大切な要素だという証明でしょう。今回参加者が現地で使った金額は、トータルで200万円を超えていると思います。大した金額ではないという人もいるかもしれないが、個人が使って積み上げた額だと考えれば、これは非常に大きな意味がある数字でしょう。中には思い切り買物をしようと気合を入れて福島に乗り込み、市内でショッピング三昧をしたり、メガネを新調したりした人もいます。長いスパンで見た時には、経済効果は予想以上に大きいのではないでしょうか。この成果には私も驚かされ、学ぶことも多かったですね」

今回の大宴会をきっかけにして、早くも次につながっている。4月14日には名古屋で開催される若手起業家たちの祭典『N-1グランプリ』に、この大宴会に出店した生産者さんたちの出店が決まり、若い仲間たちが福島から名古屋へと向かう。また8月には、福島市内でNICe関東の出張版・頭脳交換会が開催される計画。NICe自体もまた、地方経済活性化を目指す月刊誌『コロンブス』に増田代表理事の取材記事が掲載され、さらには同誌と協力して復興支援を行っていくことになった。

「これを起爆剤としてさらにつながりを広げていきたいと考えています。楽しかった。やって良かったで終わらせてはいけない。大切なのは先に進んでいくことです。3.11は被災者だけの問題ではありません。どうやって課題を解決していくのか、国に任せっぱなしではいけない。私たちのような普通の市民がどうやって応援するか。自分自身の問題として取り組むときがきていると思います。それは、『笑わす』や『買う』というところからでもいいはず。個々の人々がどうやって連携して、復興させるのか考えていく。そのことが被災地復興と同時に、日本人ひとり一人の力を高めていくことにもなると思っています」

参加者の中には福島から日常生活に戻っても、耳の奥で『I love you & I need you ふくしま』の歌が鳴り止まなかった人も多かったのではないだろうか。マラソンで増田氏がかけていた「愛して増 ふくしま」と書かれたタスキ。それを受け取って走り出している誰かが必ずいると信じたい。



取材・文、撮影/鈴木一生氏

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