第12回NICe全国定例会inさいたまレポート
2011年12月10日(土曜日)、埼玉県創業・ベンチャー支援センターで第12回NICe全国定例会inさいたまが開催された。ここでの開催は当初、「第8回NICe全国定例会」として3月12日に予定していたが、前日11日に発生した東日本大震災により中止。この時にNICeでは、「復興支援活動は長きに及ぶ。起業家精神とつながり力にあふれる私たちだからできること、やるべきタイミング、それがいずれかの段階で間違いなくやってくる」との想いを込め、この第8回を永久欠番とすることを決定した。それから9カ月。激動の2011年を振り返り、2012年以降を飛躍の年にするべく、地元埼玉県などの関東圏をはじめ、被災した宮城県、福島県、そして新潟県、愛知県、大阪府、ニュージーランドと各地から37名が結集した。プログラムは5部構成。震災復興支援活動報告、「福島の今」をテーマにしたシンポジウム、増田紀彦代表理事による基調講演、NICeならではの頭脳交換会、有志によるスピーチと、2011年をしめくくるにふさわしい濃密なイベントとなった。
■オープニング
司会進行役の
小谷野幸夫氏があいさつ。
そして実行委員長の
石井英次氏の開会宣言により、第12回NICe全国定例会inさいたまがスタートした。
▲総合司会進行を務める小谷野幸夫氏。この日は隣駅の大宮氷川神社では十日市という祭りがあり、また今夜は、観測に好条件が揃った皆既月食が見られることも紹介し、場内の雰囲気を和ませた
▲実行委員長の石井英次氏。「今日は天気にも恵まれて良き日になるでしょう。おおいに頭を使って交流していただきたい」と明るくあいさつした
続いて、今回のNICe全国定例会の後援者である埼玉県創業・ベンチャー支援センターの青山正則担当部長からごあいさつをいただいた。
「ここでの開催を3月12日に予定され、やむなく中止したと聞いています。急遽、中止を決定された関係者のみなさんのご苦労が偲ばれます。そのような中で、開催を調整くださり、これほど多くのみなさんが全国から集まられたことを、心からお喜び申し上げます。このセンター、この会場は、避難所として主に福島県からの被災者の方々100名を受け入れ、職員が一丸となってサポートさせていただきました」
この会場が避難所になっていた?! 開会前に早めに会場内に着き、場内の賑やかな様子を感慨深げに見つめていた青山部長。開催の祝辞だけにとどまらない、特別な思いを込めてNICeを迎え、あいさつをしてくださっているのだ。
「ここ埼玉県は、渋沢栄一翁の出生地です」と、青山部長は言葉を続けた。
「『論語と算盤』という言葉に代表されるように、渋沢栄一翁は、そろばんが大事であるが、その根底にはモラルが大事だと説いています。そして、自ら500社以上の企業の創設に携わり、近代日本の経済を築かれました。それ以外にも、福祉、教育面では600にも及ぶ社会事業にも取り組まれていました。激動の明治時代、高い志を持ち、人々の幸せのためにビジネスで得た利益を人々に還元するのだと。NICeもまた、つながり力で日本経済と地域社会の未来を拓く、を合い言葉にし、自らの利益追求をせず、むしろ他者の利益を優先することにより、共に成長機会を得ることを大切にされているとうかがっています。
さきほどの渋沢栄一翁が目標としていた、私利私欲に走らない、ビジネスは人々の幸せのためにあるということをNICeは実践されていると感じ、感銘を受けています。また。そのような志を持っていらっしゃる方々だからこそ、このように盛大に、全国から集い、発展されているのではないかと感じています。
ここ埼玉県創業・ベンチャー支援センターは、創業される方、創業されて間もない方に、セミナーや個別相談会などを中心に支援させていただき、年間200人に創業していただいています。その方々は、埼玉県の方に限っておりません。受講は他県在住の方でも可能ですので、ぜひサービスをご活用されて更なる発展をしていただき、次の創業地として我が埼玉県を選んでいただければと思います」
そして、最後に青山部長は、あいさつの機会を得たことに感謝を述べ、参加者の今後の活躍と発展をと言葉を締めくくった。あの渋沢栄一翁の理念にNICeを並び称してくださるとは。身に余る言葉で大変恐れ多いが、避難所になったこの空間に今日こうして集えたことの喜びを改めて感じた参加者は多かったはずだ。司会の小谷野氏もまた青山氏のあいさつに感激の様子。「起業家が日本一多いのは首都東京ですが、2番は大阪でも神奈川県でもなく、ここ埼玉県です」と誇らしげに述べ、次のプログラムへと進めた。
■第1部 会員活動報告 永山仁氏(大阪府摂津市)
東北各地を飛び回り、被災地を応援し続けている大阪のNICeな仲間・
永山仁氏による特別報告。の予定だったが、体調不良のため、急遽岡部が代理報告した。
まずは、永山氏の支援活動と訪問地域をスライドで紹介。永山氏は震災直後から大阪の摂津市にある自らの会社を挙げて、また『ふんばろう東日本支援プロジェクト』にも精力的に関わり、支援活動を継続的に展開している。永山氏がNICe内で綴った手記、また岡部が同行した数カ所に関して、知りうる範囲内で説明させていただいた。
1. 4/10 宮城県石巻市への物資搬送
2. 4/23宮城県石巻市渡波駅で牛丼500食の炊き出し&物資搬送
3. 5/14宮城県石巻市渡波駅で牛丼800食の炊き出し&物資搬送
4. 6/4宮城県石巻市鹿妻で牛丼800食の炊き出し&物資搬送
5. 6/18宮城県石巻市渡波駅でうどん800食の炊き出し&物資搬送
6. 7/23宮城県石巻市にスポットクーラー、扇風機の搬送
石巻市立万石浦中学校でうどん食の炊き出し
7. 8/17宮城県東松島市。フォークリフト教習所候補地を視察
写真左は鳴瀬第2中学校の体育館
8. 9/6 NICe代表理事らと福島県を視察し、福島市新地町のデイケアホームに物資搬送。コミュニティラジオに生出演
9. 9/27 仙台・石巻・郡山。仙台労働局訪問、東松島市議会議員と面会、職業訓練校開校を模索
10. 南三陸町
11. 11/14 10/25 石巻・女川・南三陸町、『ふんばろう東日本支援プロジェクト』の現地拠点をNICe代表理事らと訪問
12. 11/26 南三陸町、兵庫県のNICeメンバー内田氏、長沼氏らと
13. 12/1 郡山市・南三陸町 (画像提供/永山氏)
13枚のスライドを紹介後、NICeの活動に付いて報告させていただいた。
NICeのつながり力とはビジネスのためだけではなく、他者の利益を優先させ計画して実践することで、人間らしい未来、日本経済と地域社会を拓くためのもの。もちろん震災復興もしかりであり、NICeのいうつながり力がいろいろな力になっていくと信じている。
また、登壇予定だった永山氏だけでなく、今日この場に参加している埼玉県で運送業を営む古澤氏をはじめ、数多くのNICeの仲間が、復興のための支援活動を展開していることを報告。7月にはNICe内に「震災復興支援委員会」を立ち上げ、活動を開始した。そのひとつとして、2月には、福島県でNICeイベントを開催し、盛り上げようと計画している。ぜひ参加して欲しいと述べ、代理報告を終えた。
■第2部
福島県の仲間と増田紀彦代表理事による鼎談
(シンポジウム)
被災地の中でも他とは状況が異なるのが、福島第一原子力発電所事故による放射能被害を受けている福島県だ。その一部の情報はマスコミやネットからも得られるが、実際にはどうなのだろうか。事故後、福島県内に暮らすNICeの仲間の呼びかけにより3回にわたり福島県を訪れ、仲間やそのご家族から直に実情の一端を聞いたが、マスコミ報道との相違に愕然とした。「ここで一体何が起きているのか、我々は、福島県の仲間に何ができるのか」。
現地を訪れて直に話を聞く・知る機会がそうそうないのであれば、福島県に暮らすNICeの仲間に来ていただき、みんなに語っていただこう。
出演交渉をすべく実行委員長の石井氏が夕刻仕事を切り上げ、その足で福島へと車で向かったのは10月27日のことだった。滞在時間はわずか2時間。五十嵐勝氏と清野友行氏の両名が快諾してくれた。福島で何が起きているのか。マスコミで報道されないことは何か、その理由はなぜか。そして、率直なご自身のお気持ちをうかがい、我々に何ができるのかを考えたい。リアルな情報と全国の仲間の知恵を共有し、循環させ、つながり力で未来を拓くために、今回のNICe全国定例会で特別にこの鼎談(シンポジウム)を企画した。テーマは、「福島の今」。
・五十嵐勝氏/福島県福島市
・清野友行氏/福島県伊達市
・増田紀彦代表理事
▲福島市で歯科技工会社を経営する五十嵐勝氏
▲伊達市の特定避難勧奨地点に暮らす
清野友行氏
▲震災後4度訪福した増田紀彦代表理事が進行を務めた。増田氏の胸に光るのは、歯科技工士である五十嵐氏がセラミックスでつくった義歯のピンバッチ(一時拝借)
▲空間線量汚染地図。天候の影響により周辺各県にも飛散しているのがわかる(図3)
▲事故による放射能雲の流れ。当然のことながら大気に県鏡はない(図5)
▲フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)が公表したデータ。日本でも文部科学省によって運用されている緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI(スピーディ)」があるが、事故後の一時期、公表されなかった(図6)
▲セシウム137は日本のほぼ全土の土壌に分布(図1)
ストロンチウム90の沈殿状況。測定は福島第一原発の80キロ圏内のみでこの数値(図2)
▲強制的な避難地域ではなく、特定避難勧奨地点と定められた小国地区。
特定避難勧奨地点とは何か。その実情を語る清野氏
▲小国地区の地表10センチと1mの放射線測定データ
▲数値だけでは測れないと、低線量被爆の恐ろしさについて語る五十嵐氏
▲県内の全学生に配布されたガラスパッチ績算線量計。本来はエックス線の業務に就く人が身につけるもの。これで何がわかるのかが語られると、会場内は騒然とした
▲全県民対象に送付された健康調査。配布されたのは7月だという。
それまでの日々の活動を、一体どれほどの人が明確に覚えているだろうか
▲「ビジネスは人々を幸せにするためのもの」渋沢栄一翁が掲げた理念とは真逆な非人道的な行為が行われているのか。マスコミでは絶対に報道されない事実が明かされていく
▲推定年間被爆線量の推移。低線量被爆の長期化と危険性が読み取れる
▲国や役所や東電ではなく、「自分らで家族を守っていく」と
決意を語る五十嵐氏と清野氏
▲これからも交流を続け、NICeの頭脳交換の第一歩として
2月11日に福島大宴会を開催すると語る増田氏
第2部シンポジウムのレポート全文はこちらをどうぞhttp://www.nice.or.jp/archives/7887
■第3部 基調講演
一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦氏
「ニッポン復興の年を、起業家躍進の年に!」
〜〜自立して生きる人、雇われずに生きる人、
そして、そういう生き方を目指す人々が、
主役となる、日本と21世紀を目指して〜〜
拍手で迎えられた増田氏は感慨深げに場内を見渡し、「12月ですね」と一言発した後に一瞬の間を置き、激動の2011年を振り返った。
「今年の1月7日にNICeの新しいSNSができました。去年の3月に国としての事業が終わり、民間の活動として、絶対にやっていく、という強い気持ちがありました。が、現実の道は本当に厳しく、右往左往しました。当初はなかなか使い勝手が良くないSNSでしたが、2011年1月7日に新しいSNSをオープンし、その新しいSNSから皆さんへ、一斉にメッセージを送ったことを昨日のことのように覚えています。
21世紀は新しい時代が来るはずだと。だが、21世紀の時計の針がぴたりと変わる瞬間に変わるのではなく、20世紀型の古い価値観の勢力が残っていて、日本も世界も古い価値観にまだ支配されている。だけれど、21世紀に入り10年を経て、2011年。そろそろ次の時代、次の世界のありかたに、だんだん変わっていくのではないか、というメッセージでした。
人の足を引っ張ったり、つぶし合ったりしてて生きていくのではなく、人間は別々であり、別々だからこそ共同体が成り立つ。補完し合える能力があり、ほかの動物と違って力を合わせることで発展していく。そういう当たり前の、人間らしい力が発揮されて、人間で良かったとなって、変わっていくのではないかと。そのメッセージを発信した時、『同感です』と、すぐに返信をくれたのが今日も参加してくださっている埼玉の一瀬さんでした。それが嬉しくて、よし頑張るぞと思えました。
その当時はまだ、『人間と人間が力を合わせていくのが当たり前になる』などと言ったら、『増田はまた何を夢みたいなことを言っているのか』と言われるのではないかと思いました。ですが、絶対にそうなのだということを、私は3月12日に、ここで皆さんへ話をしようと思っていました。人生、生きてきて今52歳ですが、物心ついたことからの考えを全部まとめて、つながり力が本当に日本経済と地域社会を元気にするんだ!と、満を持して望もうと。しかし大地震が起きて、その機会を失ったわけです。
NICeは全国にユーザーがいて、社会の縮図のようなところがあります。恐怖と悲しみがSNSに広がっていました。故郷の実家が津波に流れさて家族が見つからない、あるいは医療に従事している仲間からは、毎日毎日運ばれてくる患者さんを助けられない、それがつらい、たまらないと。NICeの中にたくさんの絶叫が飛び交っていました。またそれを励まそうとする人、励ましきれない自分に落胆していく人もいました。私はつくづく、全国組織であることに、異業種、異地域、異世代の、……。素晴らしさではなく、大変さを思い知りました。岩手、宮城、福島、茨城の仲間がつらい、また千葉や埼玉では液状化が起きていると、たくさんの混乱の声を理解するのがこんなにもつらいことかとわかったのです。
異業種、異地域、異世代の大変さ。それは、地震前から思っていたことでした。今日、新潟県小千谷市からお越しの髙橋さんと波間さん。大震災の前には豪雪で大変でしたよね。朝、自宅の雪かきをし、出勤して職場の雪かきをし、帰宅後にまた自宅の雪かきをする。いつか倒れるんじゃないかと心配でした。秋田県にもNICeの仲間がいます。豪雪で家がつぶれそうだと。またその直前には、鹿児島県の新燃岳の火山活動。国分市にNICeのメンバーがいて、こわくてしょうがないと……。私には、火山の恐怖も豪雪の大変さもかわらないです。それをどうしてあげることもできない。鹿児島に、新潟に、秋田に、東北に、仲間がいなければ、知らなければ、こんなに心が痛くなることはなかったかもしれません。
また、異業種もそうです。製造業が円高でどんなに苦しいのか、なかなかわかりません。農業の大変さもわかりません。昨日、私は北海道の帯広にいましたが、畜産業をされているNICeな仲間・戸草さんに会いに行きました。−20度の中で、牛を大切に育てている。こんな大変な仕事を毎日毎日しているのかと。仕事の違いによる苦しみもわかりません。世代に関しても同様です。若者は就職が見つからず苦しいらしい。年配の方は社会保証どんどん切られて苦しいらしい。らしい、と薄々はわかりますが、同じようにわかることはできないのです。それは私だけではないですよね、誰もがそうです。
NICeが掲げている、“異なる業種、異なる地域、異なる世代を超えてつながる” は、言葉にするとカッコいいですが、本気でやろうとしたら、とっても大変なことです。ですが、大変だから、みんなそこから逃げていくのであって、それでは世の中は変わらないのです。同じ地域だけでやり取りをしてことが解決するならいいでしょう、同業種だけで経済が発展するのなら結構です。世代を分断したままやっていけるならそれもありでしょう。ですが、もうそうではないじゃないですか?! 今までのように大きく右肩上がりの状況ならば、バラバラに細分化してやっていけば効率的で良かったでしょうが、そのモデルが行き詰まっているのですから。
もう一度、NICeのスローガン、“異なる業種、異なる地域、異なる世代を超えてつながる”。わからないなら、わからないことの苦しさを感じながら、それをエネルギーにして、でもなんとか仲間のことなら、わかりたい。わかっていこうと思えるものです。仲間だからこそ、そういう気にもなれるものです。今日、ニュージーランドから小西さんがいらしていますが、日本とニュージーランドを行き来して仕事をされています。南半球って、ペンギンがいるのかな? わかならいところですよね? でも、仲間だから知りたい。仲間が困っていたら何とかしたい。あるいは、そういう気持ちになっていきます。きれいごとではなくて、これまでのように、隣のこともわからない、異業種のこともわからないといって、結局役に立てない、結果的に社会の力も経済の力も弱くなっている日本が今あるわけです。
もっと能力を交換し合っていくためには、いくつもの異なりを超える必要があります。超えるのは大変です、面倒くさいこともあるでしょう。でも。仲間のことだと思えば、超えていくエネルギーになると私は思っています。
とはいえ、つくづく大変でした。私も頑張ったのですが、小さなハートでは耐え切れなくなり、免疫機能が壊れ、肺炎を患いました。ほんの少し体内に入った金属片で身体が狂い、高熱がおさまらなくなり、命が危ない状況でした。しかし、一度死んだ気でこうして戻って来たわけです。決して甘いことではありません。異なるものがつながるのは、甘いことではない、大変なことです。ですが、やっぱり喜びもあるのです。こうして復帰できたのも、異なる仲間のおかげです。
4月に震災後初めて福島へ行ったのも、仲間が声をかけてくれたからです。福島に行ってもいいものなのか。何をしたらいいか、わかりませんでした。そんな時に、福島市のNICeの仲間である鈴木晋平さんが、『見に来てくれるだけでいいんですよ。見てください』と。とても繊細な方なのですが、『今がチャンスですよ。復興したらもうこの風景は見られません。だから今、来てください!』と、わざとおどけた言い方で声をかけてくださいました。いろんな方が声をかけてくださり、みなさんからいただいた力で、今日ここに立つことができたのです。
激動の今年2011年、SNSがスタートし、大震災が起こり、いろんなことがあった一年の締めくくりをぜひこの場所でやりたい、とのお願いに、埼玉県創業・ベンチャー支援センターさんにご快諾いただけました。この地でしめくくりを迎えられるのは、本当に嬉しく、ありがたいことです。今日は、来年1年だけではなく、21世紀の10年の混乱を経て、世界も日本も混乱はしていますが、これから、私たちはどういう方向を向いて頑張っていけばいいのか、そのヒントの一端をお話します」
●3事例から見えてくる共通するキーワードとは?
ヒント1/岩手県普代村の防潮堤と水産加工業
最初にプロジェクターに映し出したのは、岩手県普代村(ふだいむら)の津波被害後の画像だ。
「普代村をご存知の方いますか?」との問いかけに、会場内の挙手はほとんどなかった。太平洋に面した普代村は、十数メートルの津波に襲われ、漁港は大変な被害を受けた。が、死者はゼロ。村人全員が小高い山へ避難したのか? それだけではない。何が村を守ったのか?
「壊滅的な被害を受けた沿岸に面していながら、普代村の住民を守ったのは防潮堤です。防潮堤の高さが15.5mあったこと、水門を手動で締めたという人的功績により、川に入って来る海水も止められたことで死者はゼロです。おひとりだけ、船を見に行かれて残念ながら行方不明です」
この防潮堤は昭和43年に建造され、水門は昭和53年に完成したものだという。これらの建設に尽力したのが、昭和22年から10期にわたり普代村の村長を務めた和村幸得氏だ。和村村長は、どうしても15.5mの防潮堤が必要なのだと懸命に主張し続けたという。それには理由があった。
かつて普代村は、明治29年の大津波で302人、昭和8年の大津波でも137人が犠牲になっていた。だからどうしても、防潮堤必要なのだと和村村長は訴え続けた。当時の費用で36億円。当然のことながら猛反対を喰らう。村人からも県からも批判されるが、村長は折れなかった、手を打って7mでどうかとの交渉もあったそうだが、過去15mの記録があるのだと、頑として譲らなかった。そして43年前に建造された防潮堤が、3月11日、村人の命を、村を守ったのだ。
「ここは三陸特有の豊かな海でわかめの名産地です。スキワカメと言って、かんなで削ったように薄く加工したものですが、これが実に美味しいです。イクラやクロソイも名産です。町の若い人たちも頑張っていて、地域の生産物を使って活動しようと、地産地消が始まっていました。写真にあるのは、町のレストランで提供されるクロソイのテリーヌです。漁村というと多くは養殖や漁獲したものを市場に出すだけですが、それだけではなく、村で加工もし、料理として提供する。そういうお店が街中にできていました。津波で漁港は被害を受けましたが、村人の気運が実に高い。それがこの普代村です」
それにしても、普代村の知名度が低いことに増田氏は驚いた様子だ。和村村長の頑張りと手動による水門閉鎖の功績はもっともっとマスコミで報道されていいはずだ。事業仕分けとの関係なのだろうか? 増田氏は、和村村長と普代村の人々を改めて讃え、次のヒントへと話を続けた。
ヒント2/山口県周防大島町のジャムズガーデン
増田氏が次に紹介したのは、瀬戸内海で淡路島に次いで2番目の大きさの島・周防大島(すおうおおしま)にある手づくりジャム専門店
「瀬戸内Jam's Garden」だ。映し出された画像は店の外観と、店の前に広がる美しい瀬戸内海特有の景色、そしてなんとも美味しそうなジャム。いや実際に美味しいことは同行した食いしん坊の筆者も体験している。
「先ほどは三陸の漁村の話をしました。今度は島です。そしてここもまた大勢の人が訪れます。内陸と結ぶ橋ができたことで、ストロー現象が起き、かつて5万人が暮らしていた島の住民は今では2万人です。どんどん都会へ移ってしまいました。周防大島に限らず日本中でそうですが、橋ができると仕事の選択肢が増えて、通勤できるので一次産業から会社員へと職を変えます。最初は島から通勤しますが、その通勤時間がかかると感じるようになり、島から引っ越してしまいます。島だけではないですね、中間山地も同様です。しかし、ここは逆にやり返しています。島の住民は減っても、観光客が増えました。わざわざジャムを買いにくるのです」
わざわざジャムを買いに行きたくなる「瀬戸内Jam's Garden」。経営者の
松嶋匡史氏は、この島の出身者ではない。なぜ、この島でジャム専門店を開くことになったのか、増田氏は起業経緯を紹介した。
松嶋氏は愛知県の出身。で中部電力に勤務していたという。その奥さまが島の出身だ。結婚し、新婚旅行でパリに行き、そこで松嶋氏はコンフィチュール(ジャム)専門店にひと目惚れしてしまう。新婚旅行から帰ってすぐ、勤めを辞めてジャム屋をやる!と言い出した。奥さまは実家に相談。その父親は周防大島の「荘厳寺」の19代目住職で、奥さまはその3人姉妹の長女だ。娘に寺の跡を継いで欲しいが言い出せなかった父親、そしてジャム専門店で起業したい松嶋氏、その双方の希望が合致した。
それだけではない。ジャムと言えばマーマレード。その原料はみかんだ。何と言っても周防大島はみかんの産地として有名。山口県産のみかんの80%はこの島で採れるという。「遠くから見ると、オレンジ色の島に見えるほど」だと増田氏は語った。松嶋夫婦はこうしてみかんの島に移住したのだが、農家から仕入れたみかんでマーマレードをつくるも、甘過ぎて本来の味にならず困ったという。
「そこで松嶋さんは思いついたのです。青い、まだ甘くなっていないみかんを使ったらどうかと。そうしたら彼がつくりたいマーマレードができました。しかも、大喜びしたのは農家さんです。なぜかというと、それだけ農薬を散布する回数も手間も減る、低コスト・低農薬。しかも収入を得る時期が分散されるわけです」
松嶋氏は、このほかにもいろいろな種類のジャムを手がけている。増田氏は続けて紹介した。そのひとつが、おいものジャムだ。この島の名産でみかんと並ぶのが、東和金時と称されるさつまいも。イモはジャムにならないものだが、してみよう!と松嶋氏はチャレンジしたのだ。ところがジャムの特性である“のび”が出ない。そこでまた考えた。
「普通はパンを焼いてからジャムを塗りますよね。ですが逆転の発想で、おいものジャムを塗ってから焼くのです。これがまたホクホクになって、美味しい! しかも珍しいものですから、そのジャムが欲しいと買いにも来るわけです。ほかにも、ジャムと言えばブルーベリーが代表格ですが、島では栽培されていなかった。そこで松嶋さんは自分で栽培を始めました。もともと島で生産されているものは知恵を巡らせて製品化する。ないものは自分で栽培する。イチバンすごいのは、これです。何かわかりますか?」
画像は、あけびのようなキュウイのような、見たことがない果実。何だろう? 会場内で知っている人はひとりもいなかった。
正解はフェイジョアン。世界一美味しいだろうと言われている果物だそうだ。松嶋氏によれば、「桃とバナナの薫りが半々という。そう説明する増田氏もヨダレをたらさんばかりに「なんとも美味しそうですよね!」と嬉しそうに紹介を続けた。
このフェイジョアンがなぜ周防大島で栽培されているのかというと、20年前に、海外研修から戻った島の農家さんが栽培を始めたという。ところが、まったく売れなかったのだという。世界一美味しいのに? なぜ。
「皮が硬くて、簡単には剝けないのです。みかんというは、美味しいだけではなく、容易に剝けるから手軽に食べられます。その手軽さがいいですよね。ほら、美味しいけど、面倒くさいからいいやってモノありますよね?」。あるある!
売れないため、このフェイジョアンは忘れらた存在になっていたという。栽培農家さんですら忘れかけていた。松嶋氏も知らなかったそうだ。だが、世界一美味しいだろうと聞けば、ジャム職人に火がつかないわけがない。皮を剝ければいいこと。工業用機械ならば容易だ。そして松嶋氏により、フェイジョアンはジャムとして製品化され、店の人気商品のひとつとなっているという。
「つくづくスゴい人です。素敵な場所で、素敵なお店で、ここでしかないものをつくって売っています。それを買いに島へ行きたくなる。松嶋夫婦にも会いに行きたくなる。お店の場所も空間も素敵で、試食しながら選べるのです。行きたくなるストーリーもたくさんある。こうやって、橋がかかって多くの島民は出ていきましたが、多くの人を島に呼んでいます。
また、この島には、松嶋さんを応援する
大野圭司さんという熱い男もいます。彼もまたNICeの仲間です。彼が管理・運営している『なぎさ水族館』が島の先端にあって、そこもまた人を呼んでいます。恐らく日本一小さな水族館です。見て回るのに7分ぐらいでしょうか。基本的な展示は、漁師さんが間違って網にかけたものとか、宇宙人みたいな水性生物がいたり(笑)、タッチプールもあって魚に触れるのです。それがまた面白い。ほのぼのします。そういう島ぐるみの取り組みをしています。
なぜ、この大野さんがこんなに頑張っているか。彼は建設業、道路屋さんの3代目です。島に初めて道路をつくったのは彼のおじいさん。耐久性のある道路につくり替えたのは彼のお父さん。大野さんは私にこう言ったのです。『じいちゃんが1本目をつくった、親父が2本目をつくった。道路はもう必要ない。僕は、ここに人を通すのだ」と。私は感動しました」
ヒント3/長野県小布施町の修景と6次産業
普代村、周防大島に続く3つめの事例は、長野県小布施町。増田氏は、リクルートのムック本「独立事典」でこの町の取り組みを紹介するため、2005年に訪れている。
「写真を見ての通り、美しい町並みですが、ちょっときれい過ぎませんか? ここは古い建物をそのまま生かしたのではなく、歴史的建設物風に町並みを揃えたのです。町の中心にあるレトロな造り酒屋さんに合わせて、様々な建物がつくり直されているのです。もともとあった景観を守れという条例はよく聞きますが、その逆で、周りに合わせて木造につくり直し、土壁にしたら補助金を出すという、『太陽作戦』をしたのです。唐沢彦三さんという元町長がスゴい方で、全国町村会の会長も務めた方ですが、『役人は後ろで、民間を立ててお金をいい風に回せば人は頑張るのだ』と、長野県一小さな面積の小さな町で、修景活動をし、今や年間100万人を超える人気観光地に育て上げました」
「因みに、これは何の建物でしょう?」と、ある店舗らしき写真を示した。民家のように見えるが、なんと信用金庫の支店、新聞の販売所だという。一見わからないのは、商種を示す看板が見当たらないからだ。せっかく木造にして外観を統一していても、○○銀行、○○新聞、配達員募集など看板が出ていたら、大きな一枚の絵のように美しい修景が台無しになってしまうと、そこまで徹底しているのだという。
また、石畳に見える美しい路地を示し、「石に見えるこれは何でしょう?」と会場に問いた。
なんと栗の木の角材だという。
「小布施町は栗の名産地です。山地なので傾斜地が多く、平坦地の面積は狭いのです。ほかの長野県の町と同様に水がいいのですが、面積が狭いため精密機械メーカーの工場などを誘致できなかった。法人税収入が少ない。名産の栗も、それまでは安値で加工業者に売られるだけで、儲かるのは2次、3次産業ばかり。第1次生産の農家さんは儲からない。しかし、今はほとんど、街中で加工し、町中で販売しています。栗ごはん、栗きんとん、栗もなか、栗ようかん、モンブランなどなど、町中で競って、ありとあらゆる栗を加工して販売しているのです。そして、年間100万人を超える観光客が訪れています」
1次産業、2次産業、3次産業を全部同じ町の中で展開しているため、生産者の苦労がよその利益にならず、町でお金が回っていく。その象徴として誕生したのが、日本初の6次産業センターだという。今や“6次産業”という言葉は一般的になっているが、増田氏が訪れた当時はまだまだ先駆けだ。
「生産し、加工し、販売する。全部、自分たちでやるんだと。この形でこの町は活気づきました。野球の軟球ほどにもなる大きさがある美味しい栗が採れます。それを知られていないのならば、まずは人に来てもらおうと。そして来てみたら、美しい町並みで美味しい栗の製品がたくさんあって、町の人も親切で感じがいい。だからお土産にもたくさん買って帰りたくなる。また買いに行きたくなる。人に会いに行きたくなる。そういう人間関係ができていきます。なかなか行けないならばネットで買いたくなりますよね?」なるなる!
「さぁ、この3つの事例、どうでしょう。何が共通しているでしょうか?」
43年前の防潮堤が町を守った普代村。橋がかかって島民は減ったが、訪れる観光客数で挽回している周防大島。修景活動で町をつくり直し、年間100万人以上の観光客を呼ぶ小布施町。何が共通しているのか?
●2012年以降の9つのキーワード
「町をつくり直しました。橋が架かりました。防潮堤が町を守りました。3つの事例に共通していること、それは、来年そして来年以降、土木建築を絶対にバカにしてはいけないということです。ずいぶん叩かれてきた業界です。高コスト工事などの問題もないこともないですが、非常に悪者扱いされてきました。道路特定財源がなくなりしたよね? 以前は道路整備を決めるのは国交省でしたが、一般財源化された今、決定権は財務省にあります。国交省の判断だけでは道路をつくれなくなったわけです。その当時、マスコミのキャンペーンがありましたね。やれ談合だ、道路公団が悪い、退職金が高い、国交省の役人が居酒屋タクシーとか。問題も確かにありましたが、必ずマスコミのよるネガティブキャンペーンがあり、その後に、省庁の権益が変わります。最近では、TPPで一次産業がぼろくそに言われ、従事者は保守的な人たちだと悪者扱いされています。ですが、産業の発展や生活の豊かさを根本で支えてきたのは土木・建築であり、一次産業なのです」
増田氏は9つのキーワードを映し出し、言葉を続けた。
ぬくもり
一次産業
ローテク
地方
コミュニティ
挑戦・勇気
安心・安全
土木・建築
次代への投資
「キーワードは9つです。安心・安全は以前から言われていますが。毒餃子問題のメタミポドスについて、今はもう何もマスコミでは言われていません。農薬に関する国際的な基準には、ネガティブ方式とポジティブ方式があり、日本の安全基準はポジティブ方式を採用しています。一覧に掲載されていない農薬は使用禁止です。しかし、海外はそのほとんどが逆です。掲載されていないものは何を使用してもいいのです。あるいは、遺伝子組み換えの表示も、TPP参加による非関税障壁撤廃で表示義務がなくなります。食の安全がますます心配になります。
なにより、日本は地震列島です。大地震がもう起きないなんて誰も予想できません。わずか15年前に、阪神高速道路で間一髪ぶら下がっていたバスの映像、覚えていますよね? 先日行った宮城県石巻市で、ビルの屋根の上にバスが乗っていました。こんなことが頻繁に繰り返される国で、道路の耐震化はどうか、学校の耐震化はどうなのか。そして、原発列島でもあります。廃炉はすぐにできない。できないなら、やることはいっぱいあります。本当に命が安全で、安全に暮らせる国、安全に食べられる食べ物、どんなに大切かとつくづく感じます。
今年を振り返って、そしてこれからを照らし合わせると、この9つのキーワードが浮かびます。ですが、この国は、私の言う流れとは違う流れに舵を切ろうとしているかもしれません。未だに予算を道路の安全化に投資しない。一次産業に対しても、日本の食料自給率を高めようと決してしていません。でも、そうならば、それっておかしいよね、心配だよね、という流れが、私たち国民の中で湧き出て来るじゃないですか。その気運を自分たちがキャッチしなくてはいけないし、国がやってくれないのならば、自分たちで頑張るしかないじゃないですか。
制度などは私たちで策定できないのですから、経済活動で、一生懸命安全な町づくりをしている人を応援する。あるいは、いい食べ物をつくる人を応援する。買うこと、売ることで応援する。土木建築にフォークリフトは欠かせません。重機を動かせる人材育成がますます必要になっていくでしょう。安全な安心して温もりを感じる町づくりをするために、伸ばしていかなくてはならない産業です。これまで叩かれて衰退してしまった産業を、2012年から取り戻していくための動きが、これから始まっていくと思います。とはいえ、かなりのせめぎ合いがあることも予想できます。事業仕分けではないですが、こんなところに金を回したくないという人たちも居まるでしょう。しかし、ここを大切にしないと、安心して生きていけない!という声が必ず起きて来るはずです。この9つのキーワードの周辺に、これからの経済、ビジネスの動きが、いっぱいあると思っています」
●日本経済はまさに内憂外患、2012年からの国民生活は厳しい
続いて増田氏は日本の現状、そして厳しさを増す状況を語り出した。「21世紀を10年経て、世界も日本も混乱している」と、冒頭に一言語ったその混乱についてだ。
「叩かれて衰退してしまった産業を取り戻そうという気運はありますが、世の中は甘くないということもお話します。関税を撤廃して何が起きるか。2つのルートで日本はピンチになります」
すでにデフレーションは深刻な状況だと誰もが危機感を抱いているだろう。だが、「極めて厳しい」と、増田氏はいう。関税撤廃によりさらに海外低価格商品が増加し、そうなると競争力保持のために、国内生産の低価格化がまた加速し、デフレがさらに進行する。これがさらに深まるというのだ。そうなると、企業収入が悪化する。当然、人件費カット、業者カットへと連鎖し、低所得者層が増加する。消費はさらに冷え込み、ますますデフレギャップが拡大する。それがひとつのルートだ。問題はもうひとつのルート。この危険性をなかなか認識できていないと増田氏は警告した。
デフレが進むと円の実質金利が高騰し、円高がさらに拡大する。ここにはほかの通貨問題も関係する。ユーロはいわゆるPIGS問題を抱え、ドルも価値を維持できない。おのずと国際通貨の中の安定株は円となる。円を買う動きが加速する。さらに円高が進行すると、ますます輸出関連企業は海外へ逃避する。おそらくここまでのルートは、大半の参加者が薄々でも認識しているはずだ。だが……。
「海外へ逃避するのは、工場立地だけではありません。日本の上場企業、それと富裕層です。国内の景気が悪くなり、経済が収縮していく。そうなると、資金調達が難しくなります。となると、上場企業が国外へ逃げていくのです。海外の証券取引所へ上場を移す日本企業がすでに出てきているのです」
増田氏が挙げた社名に驚いた参加者も少なくないはずだ。日本の上場企業が日本を捨てて、海外の証券取引所へ上場を変更する? 増田氏によれば、同様の企業は今後も増えるだろうという。さらに日本政府は増税案も打ち出している。企業も富裕層も海外へと脱出すれば、ますます国内景気は悪化する。雇用も減少する。まさに2つのルートで内憂外患の状況が加速するのだ。しかし、このピンチに、屈してはなるものか。ここは渋沢栄一翁の出生地だ。福島の仲間の話を、普代村の村長の話を、周防大島や小布施村で頑張る人々の話を聞いたばかりだ。超えていくエネルギーが、支え合う場が、私たちにはある。
●零細で、非力で、でも額に汗することを厭わず、
仲間を思える人間らしいつながりを。
「日本は大変です。その中で政府も大企業も大慌てしている状況です。私たちも大変です。ですが、ここでもう一度戻って、9つのキーワードを信じて、小さな単位の中で血の通う範囲で、人間にとって何が大事かという範囲の中で、懸命にそこを見ていけば、個々には必ず経済が回っていくと私は信じています。周防大島の話を、長野県小布施町の小さな町を、43年前の防潮堤で助かった村を、思い出してください。こういう日本があるわけです。
これから苦しくなる日本と、こういうことに気付き始めている日本。どっちを見て行くのかということを自分たちがひとり一人が責任を持って判断をしていかなければいけません。先ほど五十嵐さんが、福島から出て行くのも残るのも自己責任だとおっしゃいました。日本から出て行く人も今たくさんいます。それも自己責任です。日本に残って、日本で喰っていくならば、泣き言を言わないで、こんな大変な日本だけれどもよく見たら、いいところたくさんじゃないですか。そのいいところを見て、生きていく気概がなければ、この日本でこれから2012年、2013年以降やっていけないと思います。ぜひこの9つのキーワードを意識してください。経済は大変ですが、頑張っていけば、まだまだ自分たちは、この国でやりがいと希望を持つことができると考えています。
この後のプログラムで、頭脳交換会を行いますが、コミュニティ、共同体。日本のいいところのひとつのシンボルとして、このNICeがあって、仲間があって、仲間が儲かるために、仲間が幸せになるために、知恵を捧げ合う関係をさらに強化していって、各地に負けないような活動をしていきましょう!」
■第4部 NICe頭脳交換会
休憩を挟んで始まった頭脳交換会。これは、ひとりのプレゼンテーターが自身の事業プランや経営課題を発表し、それをもとに参加者全員が「自分だったら」という当事者意識で臨み、建設的なアイデアを出し合い、ブラッシュアップしていくNICe流の勉強会のこと。最初に
小林京子氏から、基本的なルールに付いて説明が行われた。
「NICeの頭脳交換会を一言でいうと、グループによるアイデア創出祭り!です。ルールは、プレゼンターからの課題解決に向けて、アイデアや意見をできるだけ数多く出すことです。質よりも量です。そのためのルールは、批判しない、否定しない、可能性を反対しない。逆にOKなことは、ひとつのアイデアに、じゃこれをプラスしたら?という相い乗り意見は大歓迎です。臨む姿勢は、ずばり、プレイフル!! つまり、おもしろがる、遊び心を持つことです」
各テーブルのうえには、自由に書いてOKな大きな模造紙と色とりどりのペン、そして、実行委員会から提供された埼玉銘菓の数々が広げられていた。「お菓子もプレイフルになっていただくためのものです」と、それぞれの菓子の説明を続けるも、参加者の多くがすでにお菓子に夢中のようだ。
▲彩果の宝石・ゼリー、元祖ネギミソおせんべい、小林京子氏からの帯広土産のバトンクッキー、石井英次氏の自宅で採れたゆずなどがふるまわれた
●プレゼンテーション
すみえ社会保険労務士事務所 代表 宇梶純江氏
「個人事業主向け商品をひとつ、つくりたい!
みんなのアイデアをカモンっ★ 」
「埼玉にようこそ!」と明るい声であいさつした宇梶氏は、「個人事業主向けの商品をひとつくりたいと思っています。みなさん、アイデアカモン!です」と、ジェスチャーも交えプレゼンをスタートさせた。
2011年4月に開業した宇梶氏は社会保険労務士であり、この会場の上階にあるインキュベーション施設「Mio新都心」にオフィスを構えている。現在の取引先は、社員を雇用している経営者だが、同じインキュベーション施設「Mio」には200社以上の企業が入居しており、そのうち9割が、社員を雇用していないひとり法人または個人事業主という。宇梶氏は、その入居者を対象に、新しい商品をつくり、サービスを提供したいと考え、そのためのアイデアを求めてプレゼンに臨んだと述べた。
そして「Mio」に入居している200社以上の“社員を雇用していないひとり法人または個人事業主”の業種内訳を独自にリサーチしたところ、サービス業(販売広告など)が3割、士業が2割、ほか専門職(エンジニア、翻訳業など)という割合。
現時点で考えている商品内容は、保険料や税金、そして年金などのアドバイスだという。その理由は、創業間もない時期は何かと支出が多く、収入は少なく不安定。しかも、会社を退職して独立したのであれば、なおさら初年度は、住民税、国民健康保険、国民年金などの支払い金額が多く、負担も大きい。これは宇梶氏自身も退職し独立した時に、支払額の多さに驚いたという。また、“社員を雇用していないひとり法人または個人事業主”は将来への不安、年金支給額の不安から、必要以上に保険に加入しているケースが多いことも、個人経営者を対象にしたサービスの必要性を感じたのだと語った。
“社員を雇用していないひとり法人または個人事業主”を対象にしたことには、ほかにも理由がある。4月に開業した宇梶氏は、“新人社労士”であるため、先輩社労士とは違う商品展開をする必要があるのだという。ひとつは、既存の商品として、個人事業主向けには社員雇用時のアドバイスをする商品や助成金の案内も既にあること。また、入居している同ビル内には7名の先輩社労士がおり、さらに100m以内に30名の社労士が拠点を構えている、いわば社労士激戦区でもある。“新人社労士”である宇梶氏が先輩と同じ商品を扱っても太刀打ちできるわけもなく、また諸先輩への敬意から、モラルとして同じ商品は扱えない。そして、もうひとつの理由として、営業が苦手なため、アプローチしやすくするためにも新たな商品をつくりたいのだと述べた。
まだ構想段階であり、サービス内容も本当に望まれているものなのか、独りよがりになっていないか、第3者の視点での意見をいただきたい。また、“社員を雇用していないひとり法人または個人事業主”が、どのような心配事、困り事があるのか。それを商品開発にいかしたいと述べ、プレゼンテーションをしめくくった。
●質疑応答
増田氏:創業して間もない、売り上げがまだ少ない時期の個人事業主を対象とするのか、あるいは、年金などの将来の心配をしている個人事業主を対象とするのか。どちらかに絞りたいと思います。みなさんの挙手で決めましょう。
(創業して間もなく、売り上げがまだ少ない時期の個人事業主を対象とすることで決定)
増田氏:退職直後に創業した場合、資金繰りだけでなく、公的保険などの支払いも負担が大きい。そこに着目したのはわかるのですが、もう少し説明してください。
宇梶氏:私もそうだったのです。退職金の半分から3割が公的支払いに消えてしまって、ぎゃーっと。もし、配偶者がいて一定の収入未満であれば、夫の扶養となって支払い金額が0になったり、状況を説明すれば支払いが先延ばしになるなど、法的な支払い制度があるのです。また国民年金も、親と同居しているシングルは、自宅を出てひとり暮らしすると免除や猶予となる申請ができたり、世帯は自分ひとりで無職だと申請すると、売り上げが上がってから後から支払うことができるなど、様々あるのです。今払わなくていい、後払いできる制度を利用すれば、創業時に支払額を抑えられる、苦しい思いをしなくて済むことがあるのです。
増田氏:そのようなアドバイスをする、コンサルタイプの商品をつくりたいのですね?
宇梶氏:はい。
Q:現行の制度を前提に考えないといけないのですね?
宇梶氏:はい。
Q:社会保険労務士じゃないと、そういうアドバイスはできないのですか? 資格があるからできること、資格がなくてもできること、あるいは、資格がないのにアドバイスすると違法になるなど、あるのですか?
宇梶氏:はい、これは社労士の独占業です。国民健康保険法など法律があるので、法律に関連したアドバイスで報酬を得ると違法になります。これは社労士の独占業です。
Q:知らなかったです! 弁護士は法律のアドバイスしている時にお金を取ると弁護士法違反となるのは知っていましたが。
Q:宇梶さんが社会保険労務士として商品をつくるのはいいのですが、問題は接点だと思うのです。どうやって個人客とつながるかを考えた時、たとえばNICeのマンパワーを使って商品をつくってもいいのですよね? そういうふうに発展的に営業をどうしたらいいかという考え方でディスカッションしていいですか?
宇梶氏:あまり営業、営業するのが好きではないので、身近な「Mio」のみなさんを対象にとしか今は考えていません。
増田氏:アドバイザリティ料を払っても、教えてあげたほうがいいことを商品化するのですね。営業のことで言えば、宇梶さん自身が営業しなくても、NICeの仲間が、「じゃ、宇梶のあれを使ってあげればいい」と言えばいいのですものね。
Q:社労士と行政書士と業務内容で重なっている部分、全然違う部分など、専門的なことを教えていただきたいです。
宇梶氏:基本的に社労士と行政書士はだぶっていません。税理士さんと社労士は、お給料計算という仕事では取り合うこともあります。税金を支払うから税理士だと言う方と、社会保険費も関係するから社労士だと言う方もいます。就業規則は社労士と、法律上のルールで決まっています。今回、みなさんにそれぞれの士業がどういう法律なのかと説明すると細かすぎるので、そこは抜きにして、自由にアイデアを出してくださればと思います。
Q:現在取り引きしているお客さんは、どうやって宇梶さんのお客さんになったのですか?
宇梶氏:NICeの仲間からののご紹介もありますし、経営者の集まりでのご紹介もあります。私もさいたま中小企業家同友会に登録しており、その集まりで話している人たちと仲良くなってご紹介いただいています。
Q:お客さんにアプローチできない、どうしたらいいのということですか?
宇梶氏:社員を雇用していない、ひとり個人事業主さんがどういう商品をほしがっているかというアイデアをいただきたいです。
Q:難しいですよね
増田氏:はいはい、否定しない、可能性の判定をしない! (笑)
Q:個人事業主は社会保険に入る必要があるのか、あるいは国民健康保険に入ったほうがいいのか。売り上げが少ないとなると、社員を社会保険に加入させるのも会社側にとっては負担になると思うのですが。どういう風な考え方を持てばいいのかということもあるかと思うのですが、あくまでも個人事業主がターゲットと?
増田氏:社員がいない個人経営者、それは個人事業主でもひとり法人でもいいのですよね?
宇梶氏:はい、株式でも有限でも、社員なしでひとりでやっている方です。
Q:今までの先輩社労士が提案していることを省いて、ということですが、その社労士さんがやっていた提案事項とはどういうことがあるのですか?
宇梶氏:今ひとりでやっていらっしゃる経営者さんは、社員を雇う時に初めて労基法が適用され、初めて社労士が必要だと思うのです。そのような労働者を雇う時の商品がひとつ。また、助成金を活用する企業が増えてくるので、助成金のコンサル。この2点です。
増田氏:すごくおもしろい目の付けどころです。社労士イコール雇用なので、ひとり個人事業主はいわばエアポケットなのです。ひとりビジネスに社労士は関係ないと思っているし、先輩社労士もひとり個人事業主はセグメントにならないと思っている。ですから、そこを取れば、先輩にも義理立てできる。人を雇う気がないところを狙う、そこを切り込めればおもしろいですね。
Q;私は創業前に、人を雇う時までは自分で何でもやれと。会社設立に関してもお金をかけずにやれと指導されてきました。助成金のことも自分でやっていました。社会保険のことも勉強して自分でやるようにと教育されていたので。
増田氏:保険のこと、税金のことなども、自分でどうやるかを教えてあげたり、知恵を付けたりもできるのですよね?
宇梶氏:はい。
Q:顧客開拓をしたいということですか? 顧問とかのお考えは? 困った時にお声がけできる商品をつくりたいのですか?
宇梶氏:顧問は考えていなません。社員がいない個人事業主です。
増田氏:知らなくて損をしている、それが多いので、宇梶さんの方からこれを知っていた方がいいと発信して、それでなるほどという人と商談を進めればいい、ということです。
Q:メルマガとか?
増田氏:そういうことをこの後に、グループごとに話し合って欲しいのです。
Q:240社以上が入居しているということですが、ここから従業員を雇ったりして伸びていく割合はわかりますか?
増田氏:質問の意図も話してみてください。
Q:質問の意図は、個人相手で今は儲からなくても、そこから将来につながるのであれば、サービス内容もわかるかと思うのです。
宇梶氏:テナント入居者情報はわからないんです。
増田氏:実際にどの会社が何年後に成長するはヒアリングしようもありませんしね。今の質問の背景にあるのはいい視点で、この事業の設計について提案をしているわけです。初期は売り上げがないので、ここはサービスとして関係をつくり、将来、従業員を雇う時のツカミ作戦としても可能かもしれない、ということですね。この後にアイデア考える時に視点のひとつになりますね。
Q:宇梶さんの得意を聞きたいです。三つ児の魂のような得意なこと、好きなこと。社労士だからではなく、すぐに対応できますとか、書類作りが美しいですとか、ここが得意とか。
宇梶氏:人事の業務改善、システム。やわらかくいうと、人が好きなので、その人に何かやってあげたくなります。頼まれて、一時期幹事を13ぐらいやっていました。ノーが言えないイエスマンです。
増田氏:この人のおせっかい能力はかなり高いです。資格でできる業務以外で、人と人とのコーディネートがありますね。
Q:おせっかいなのに、なぜ営業はできないのですか?
増田氏:人のことはやってあげられるけれど、自分のことはできない人っていますよね。
Q:確かに!
▲課題とテーマ、質疑応答を簡潔にまとめる
小林京子氏
▼グループディスカッションがスタート!
テーマ/社員を雇用せず、売り上げがまだ少ない個人事業主へ、宇梶氏ができること、商品化できることとは? 各テーブル5人ずつの6チームで10分間、お菓子を食べながら、模造紙に書きながら、話し合いが行われた
●チーム発表
10分後、ディスカッションタイムが終了。
増田氏が各チームのリーダーに、アイデアの完成度を確認し、自信満々のチームから発表。
鬼頭秀彰氏チーム・
小西靖基氏発表
宇梶さんの能力の高いところ、コーディネートということから、マッチングコーディネートをひとつの軸で考えた。初めて個人で起業した人の一番の心配は病気。病気することではなく病気した時に収入がなくなること。そして労災。個人で加入できるひとり親方の制度・事務組合をつくり、そこでマッチングもしてしまう。
増田氏/労災の特別加入を使うわけですね。なるほど。
会場:おおおおーー
菅沼之雄氏チーム・
大塚真実氏発表
宇梶さんの“おせっかい”“コーディネート”など、営業の前の段階の働きをするという考えもあるのでしょうが、商品として考えると、ワンコインサービスはどうかと。労災でも税金でも保険でも労務規定でも、ワンコインで30分相談できる。
個人事業主は相談相手が少ないし、誰に相談していいかもわからないもの。そこに社労士としての仕事があるかはわからないが、仕事に結びつく可能性もある。メニューは豊富。
もうひとつは、「私の部屋を応接室にどうぞ!」。ひとり親方だと、来客にお茶入れてくれる人もいない。宇梶さんのオフィスを応接室にすれば、お茶も入れてくれるし、商談の話から相談に乗れることあればなんでもどうぞ!とできる。
会場:おおおおーー、すげー!
高橋慶蔵氏チーム・高橋氏発表
うちのチームがあと5分話し合ったら、応接室の案になっていたと思う。ということで、5分前の状態を発表します(笑)。
宇梶さんは人のために尽くすのが好きというところから、駆け込み寺。何をどこに相談していいかわからないので、まずは宇梶さんのところへ来てください、とする。「私ができることはやるし、他にご紹介しますよ」と。社労士だけでなく、よろず相談所。で、5分経つと、大塚さんの発表のように、「私の部屋を応接室にどうぞ!」になったと思う。
増田氏:思考プロセスの発表ですね(笑)
髙橋氏:はいそうです(笑)
増田氏:とっつきやすさもあるし、何が困っていることがわからない。そこが、そもそも困っていることなんですよね。ホテルでいうコンシェルジェのようなサービスができますね。
吉田裕美子氏チーム・吉田氏発表
さらにもう5分前の状態です!
キャラクターが優しくて楽しくて、話したくなる雰囲気もある。ですが、何を相談していいのかもわからない。逆に宇梶さんの方から、「こんなこと困っていませんか?」と発信すると、「あぁそれ困っていた!」となるのではないか。そこから相談に行くのではないか。メルマガやセミナーなどで、発信するのがいいと思う。
増田氏:社労士が何をしてくれるのかわからないし、わからないと避けてしまうことってありますね。社労士の宇梶というと、ストライクゾーンが狭くなるので、むしろ狙っている側の課題を拾い上げて宇梶さんから投げてあげるほうががいい、というアイデアでした。次は商品名まで考えたチームですね。
相澤松吾氏チーム・相澤氏&
上久保瑠美子氏発表
商品名は、「SUMIスミ2人3脚」。宇梶さんの名前のSUMIと、クライアントと自分が2人3脚してサポートし合う。
増田氏:課題の隅から隅をフォローするのではなく?
相澤氏:じゃない!
会場:笑!!
相澤氏:根底にはその意味もあるのですが、ネーミングはあくまでもWinWinの関係という意味です。では、内容似ついては上久保さんから。
上久保氏/
そもそも「Mio」のみなさんを対象に、となると、同居者の関係から、売る側とお客さんという関係になってしまい、よろしくないのではないかという発想からスタート。ターゲットが独立したばかりのひとり個人事業主なら、宇梶さんとは取り引き関係ではなく、お互い交換し合う関係にする。また、営業が苦手ということなら、自分を売ってもらう関係になればいいのではないか。相談ごとにも応じるけれど、お客さんのところへ一緒に行き、互いにアピールし合う。その商品名として「SUMIスミ2人3脚」。
増田氏:お客さんとしてとらえるのではなく、サービスをカバーし合う関係ですね。セットで動くことによって事業強化の資源として「Mio」のみなさんと仲間になると。
相澤氏:はい。
齋田和夫氏チーム・齋田氏発表
ひとり個人事業主はなるべく出費を抑えたいものなので、公的な支払い時期の前にセミナーや相談会を兼ねた勉強会を主宰する。もうひとつは、対象を広げるという考え方。「Mio」に入居されているみなさんは、独立後なので、なるべく出費を抑えたい。であれば、ほかに年金や保険についてアドバイスを必要としている、知りたい層もあるのではと発想を広げた。年配者や大学生などの若者、会社員の妻、老人ホーム、地域コミュニティなど、個人向けに広げてもいいのではないか。たとえば大学生は、将来年金をもらえるのか、払った方がいいのか不安。それを重たい勉強会ではなく、軽い懇親会的な交流会で広げていくのがいいのではないか。他の資格業務との違いはわかりにくいので、本を書いてアピールするのもどうか。
増田氏:宇梶さんが社労士になったのは最近ですが、その前にどんなお仕事をしていたのか、質問がなかったのですが、何をしていましたか?
宇梶氏:13年間、人事をしていました。
増田氏:何をつかめましたか?
宇梶氏:一番は、オジさん達と仲良くなることです。役員秘書もしていたので。もうひとつは仕事を早くやること。システム化が得意です。
USTでの意見/
田村康子氏発表
・個人事業主の営業代行をしては
・異業種交流会の変形で目的の士業と交流できる士業カフェの需要はどうか。
・個人でも会社でも、目先の仕事に追われると将来の種まきができなくなる。将来を見据えて、社労士ならではの人脈で、互いの仕事につながる人と人を結びつけることをしてほしい。
意見:うちの娘は大学生で、年金がどうなるのか、相談できるところもないし学校でも教えてくれない。しかも女子だとつながりも持ちにくいので、仕事としてアドバイス、人事のアドバイスもほしい。生協に提案するのはどうか。
増田氏:全然違うターゲットですが、大学生も退職後の人も、宇梶さんの人事の経験で可能ですよね。
誰に何をどう売るか、がビジネスの基本ですので、「Mio」で、というところから頭脳交換を始めましたが、本当にそこでいいのか? というところからとらえ直してみる。そんな考え方も、活用方法も案が出ました。ここからはフリーで、「だったら、こんなこともできるのでは?」という相乗りで発言をどうぞ!
・オジさん達と仲良くなるのが得意であれば、年金相談だけでなく、引退後に独立したいという人も多いと思うので、その層にアプローチできるのでは。
↓
・起業してから売り上げが少ないというと、なおさらお金は使えず、アドバイス料も支払いにくいと思う。だが、起業前なら準備金として手元にある。その時点で不安もいっぱい抱えているので、起業前の層がいいかと思う。
↓
定年後の幸せな人生を送るためのパッケージ商品。
↓
若い人もありですね
↓
増田氏/
すぐにできること、一定の準備をしてできること、ハードルは高いけれどやってみたいこと。それらに対して、実現可能性を分けて整理し、実践することが大切です。また今日は母親の切実な声も出ました。若者のためにという場合は、NPO的にやることかもしれませんが、そういうことを一生懸命やっている宇梶さん、という打ち出し方もできます。今日のアイデアはどれもできることなので、これは投資として後でという組み合わせも含め、成長戦略を考え、すぐできる、いつかやる、直接収入ではないがひとつの活動を組み合わせていくと、先輩社労士とは違う方向へ進めるのではないでしょうか。今日はみなさん、素晴らしい頭脳交換会でした。ありがとうございました!」
■第5部 3分間PR
7名の有志により、それぞれ3分間のPRが行われた。
▲小千谷市役所税務課・
高橋慶蔵氏&小千谷市役所農林課・波間陽一(新潟県小千谷市)
高橋氏が5年前に整備した「おぢやクラインガルテンふれあいの里」を紹介。二地域居住から田舎暮らし体験、本格移住を目指す方まで、ぜひ利用して欲しいとアピールした。会場の参加者は起業家が多く、まだまだ第2の人生計画はないだろうが、友人・知人・知り合いに希望者がいれば田舎暮らしの入門編として当施設と制度を紹介して欲しいと述べた。また、1月27日には東京銀座でセミナーを開催するので興味ある方は是非にと呼びかけた
▲
小西靖基氏(ニュージーランド)
日本とニュージーランドを行き来して事業を展開していると自己紹介。ニュージーランドには様々なものがあり、増田氏の基調講演で話に出たフェイジョアンもそのひとつだという。つながりを生かし、ニュージーランドと日本をつなぐ役目をしていきたいので、何かあれば聞かせて欲しい。また仕事では、AとBを足してABにするのではなく、Cにする。つながりとつながりの中で、ひとり一人の力をプラスして、さらに大きな何かに広がる新しいしくみづくりを目指していると豊富を述べた
▲
渡邉真弓氏(東京都)
映画「ミセス インガを知っていますか(仮題)」の企画を担当している渡邉氏は、映画の紹介と、協賛およびエキストラとしての参加、ロケ地などの撮影場所提供など、広く協力のお願いを呼びかけた。主役は鈴木砂羽さん、共演者には室井滋さんらを予定している。クランクインは5月。この映画は子宮頸癌をテーマにしたものだが、教育用ではなく、また、男性にも観ていただきたいという。早期発見のためには、パートナー、恋人、家族など、周囲の理解と支援が欠かせないのだと呼びかけた。ひとりでも多くの人に観ていただき、知っていただきたいと、映画への情熱を見せた
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一瀬 要氏(埼玉県川越市)
2010年4月に起業し、いいことクリエイション合同会社の代表を務めている一瀬氏は、地域マネージメント事業について説明。これは、地域の商店、企業、学校、行政などの活動に、住民も参加してもらう、いわば、異業種交流会に住民が加わるような形。困りごと、要望などをワールドカフェ形式で住民から直接引き出し、住民と事業者が一緒になって問題解決し、地域の中で経済が回る仕組みをつくるものだという。埼玉県から助成金も得て活動しているので、同じ手法でみなさんの地域でもぜひ広めてほしいと呼びかけた
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菩提寺由美子氏(さいたま市)
2010年5月、さいたま市の伝統産業、岩槻の文化を日本中、世界中に広めたいと旅行会社・彩の国ブランドフォーラム株式会社を設立。しかし、繁忙期!となった矢先に震災。得意先が倒産し、自身も体調を崩したが、コスプレが趣味の娘さんに励まされ、コスプレでさいたまを全国にアピールしようと活動を開始。伝統産業ではないと非難もされたが、さいたま市誕生10周年記念事業、東日本大震災復興支援として、埼玉県・さいたま市・(社)さいたま観光コンベンションビューローの後援を得て、2012年1月13日に「フォトグラフィー IN さいたまシティ 2012」を開催することになった。また、徒歩で観るさいたま、さいたま市のPRキャラクターなども手がけ、地元の発展のために頑張っていると述べた
▲
小林京子氏(神奈川県鎌倉市)
今後のNICe全国定例会の開催日がいよいよ発表! 次回は、3月17日18日、開催地は福井県敦賀市。NICeのイベントが日本海側の地で開催されるのはこれが初めて。その敦賀での実行委員長を務める瀧波氏から寄せられたメッセージを小林氏は代読し、敦賀の見どころ、食べどころを紹介した。そして続いて、次々回は、5月26日、北海道帯広市での開催が決定したと報告! 全国定例会ですので、ぜひ全国各地から一緒に行きましょう!と呼びかけた
■エピローグ
実行委員長の石井英次氏が参加のお礼とともに、震災復興資金の募金箱を掲げ、お気持ちのご協力をお願いしますと呼びかけた。続いてオオトリに、さいたま市の
古沢繁氏が閉会のあいさつ。
「遠路はるばるありがとうございました!」と元気よく一言。「もっとしゃべれ!」との温かいヤジに、「懇親会の案内係もやりますので、どうぞよろしくお願いします」と締めくくった。
■頭脳交換会でプレゼンテーターを務めた宇梶澄江氏の感想と今後の抱負
「最初にプレゼンの話をいただいいた時は、社会保険労務士という仕事の知名度の低さ・税理士などの他士業との区分の難しさという理由から、参加者のみなさんがはたして楽しいだろうか? と、正直不安でした。が、いざ、頭脳交換が始まってみると、私のためにみなさんが貴重な時間を、アイデアを、ディスカッションを、一生懸命考えて下さって、とってもありがたく、熱い想いがこみ上げてきました。次から次へと発表の途中でもアイデアが進化し続け、どんどん刺激とアイデアをいただけることに感動しました。そして笑い。皆さんと素敵な時間を過ごせたことに感謝です。
アイデアの中からすぐにでも取り組めるのが、社労士以外の士業の先生がお客様に訪問する時に同行させていただくこと。図々しいかもしれませんが、まずは行動。手ぶらでは行けないので、時期に合わせた社労士提案ネタをお持ちしようと。そして今は、知り合いの税理士・行政書士・中小企業診断士の先生方にお会いする度、情報発信するようにしました。それから、『おもしろい!!ぜひやってみたい!』と思ったのが、30分1コイン相談のアイデアです。まずは知ってもらうために、メニューづくりから始めているところです。“おせっかい能力”を自覚はしていましたが、人並みより高いと言われて改めてそうなんだ!と思えました(笑)。情報があふれだし、スピードが加速するこのご時世で、本当に必要な人・場所・情報を、相手の方に負担にならずに、さりげなく紹介していこうと思いました」
■第12回NICe全国定例会inさいたま実行委員長・石井英次氏から一言
「あれから9か月。第12回全国定例会inさいたまは、東日本大震災によって中止となった3月12日に、同会場で計画していた第8回全国定例会のリベンジでもありました。その会も自分が実行委員長となっておりましたが、年明け早々から自分自身の仕事の都合で、ほとんど実行委員長としての動きができなかったので、再度、実行委員長として関わることができて嬉しかったです。
2011年最後のNICe全国定例会ということもあり、今までとは違った形で開催できたと思います。福島県から清野さんと五十嵐さんにご参加いただき、過去になかったシンポジウムもできました。定例会終了後におふたりと話した時に、おっしゃっていました。『今回の話は序章にすぎない。まだまだ話したいことはあるんです』と。今回の定例会で終わらず、継続的にもっともっとおふたりにお話ししていただく機会を、そして『報道には出てこない真実』を伝えていただきたいと思いました。
定例会全体を通しては、埼玉の事を多少なりとも知っていただけたかな?という感じです。もっと長時間でやりたいくらいに時間が足りませんでしたが、2011年の締めくくりにふさわしい全国定例会になったと思います。また機会があれば、さらにパワーアップしたNICe全国定例会を埼玉で開催できたらと思います。その前にもっと埼玉のNICeメンバーが気軽に集まって、つながり力を県内でも強くしていけるようにしていきたいです。NICeの中で『埼玉のメンバー楽しそうだよね!』なんて、他の地域の方々に思われるようになりたいです!
実行委員の皆さま、参加してくださった皆さま、ありがとうございました。そして後援として会場を提供してくださった埼玉県創業・ベンチャー支援センターさま、どうもありがとうございました」
UST配信/
横山岳史氏
取材・文、撮影/岡部 恵