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vol.227 特別号【増田紀彦代表から3.11メッセージ】



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Vol.227          2025.3.11
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起業支援ネットワークNICe https://www.nice.or.jp

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今号のメールマガジンVol.227は
特別号として、3.11メッセージをお届けします。

このメルマガは、NICeの活動に参加された方々、
またはNICe代表理事・増田紀彦と名刺交換をされた方々、
および全国の起業家、経営者、農林水産事業者、起業・創業希望者、
地域振興関係者、中小企業支援・創業支援機関、一次産業支援機関の方々へ送信しています。


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  NICe代表 増田紀彦から3.11メッセージ

     私の「忘れられない日」、
    あなたの「忘れられない」日


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津波被害を避けようと高台に移転したら、今度は山林火災……。
岩手県大船渡市の方々を襲った苦難に、言葉が見つかりません。

しかも、火災の拡大には、
気候変動による空気の乾燥や強風が影響していると考えられています。
つまり、私たちが営む仕事や暮らし方が、災害の一因になっている……。
そう思うと、胸が苦しくなります。

やはり私は「化石燃料を掘って掘って掘りまくれ」と檄を飛ばす、
アメリカ大統領の考えには賛成できませんし、
気候変動を加速させないための努力をすべきだと考えます。

これまで私は仲間と共に震災被災地の復興支援に携わってきましたが、
今後は、災害を未然に防ぐための視点と知恵を強化し、
そのために、できることに手を着けていこうと思います。

私自身やNICeは小さな力しか持っていませんが、
小さな力同士がつながり、重なり、広がることで、
大切な物事を守ることができるはず。私はそう信じます。

このあと、今年のメッセージをつづります。
今回は、最初から最後まで、私自身の話をします。
個人の話ではありますが、
一人の人間の経験や苦悩、逡巡や決意のなかには、
多くの人に通じる知恵のかけらがひそんでいる。そう思ったからです。

ぜひ、お目通しください。

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誰にも生涯忘れられない日があるでしょう。
大事な人の誕生日や命日、記念日、
あるいは暮らしや仕事にかかわる重大な出来事があった日など。

それなりの歳月を生きていると、
忘れられない日の数は少しずつ増えていくものですが、
私の場合、絞れば2つになります。

ひとつは7月31日。
私が小学校6年生の時のこの日、
私より12歳年下になる妹を出産した母は、
そのまま妹と入れ違いで命を落としてしまいました。

言葉にならない喪失感、
加えて、諸事情からその後20年以上、
妹に対して実の母が出産で死んだことを隠し続けた日々は、
私から「何も考えずに楽しく過ごす」時間を奪いました。

ただ、それだけなら「忘れられない意味」は、
少し違うものになっていたかもしれません。

母の死は医療ミスが原因でした。
医者は失策を認め、父に平身低頭で謝罪していました。
私はその光景をかたわらで見ていましたが、
その時は「誰のせいで死んだのか」など、どうでもよかったのです。

しかし、本当はどうでもいい訳がありません。
心の奥底に押し込まれて出口を失った憎しみは、
着実に心を蝕み、腐らせ、捩じ曲げます。

せめてあの日、医者に掴みかかればよかった。
「お母さんを返せ」となじればよかった。


言いたいことを飲み込んで我慢して、
それで何か良いことが起きるでしょうか。誰かが幸せになるでしょうか。

結果がどうなるかはともかく、
言うべき時に、言うべきことを言わなければ、
やるべき時に、やるべきことをやらなければ、
わだかまりは、いつまでも心の奥に貼り付いたままになってしまいます。


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もうひとつの忘れられない日が3月11日です。

あの、無力感……。

それでも、できることは何かあるはずと自らに言い聞かせ、
福島県の沿岸部を訪ね、被災した方々に笑いを届けたことを、
昨年の「3.11メッセージ」に書きました。

資金力もない。技術力もない。体力もない。
そんな自分ができることを、必死で考えて捻り出したのが、
一瞬でもいいから、被災した人たちに笑ってもらうことでした。

今思えば、本当にささやかな行動です。
それこそ、声を大にして言うようなことでもないし、
いわんや、同じようなことをしてくれなどと言うつもりもありません。

これは私の問題なのです。

ささやかだろうが、カッコ悪かろうが、
何かを言わなければならない時、
何かをしなければならない時には、逃げてはダメなんです。

この機会を逃したら、絶対に取り返すことができない、
そういう決定的な瞬間が、人生には何度か訪れるものです。
私は子どもの頃に、そのタイミングで失敗しました。

福島県の沿岸を訪ねた頃、私は50歳を少し過ぎたくらい。
この時、ここで何も言わなければ、何もしなければ、
確実に自分への肯定感を失うはず。
そんな後ろめたさを包み隠して、
さらに10年、20年、30年と生きるなど、到底無理だと思いました。
子どもの頃と同じ後悔を、もうしたくないと思いました。


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私が被災地支援に取り組んだ動機は、
やはり、自分のためだったのです。

正直に言えば、ほかのあれやこれやの取り組みも、
自分のためにやっていることです。
それこそ無私の心など、私のどこを探しても出て来やしません。

ただただ、自分が救われたい。
捩じれた心をほどきたい。
最低でも、これ以上捩じれることなく、
できれば、清く正しく朗らかに、残された人生を過ごしたい。

もっとも動機がどうであるにせよ、動けば結果は出ます。
ささやかなことでも、やれば、それが何かに結びつき、
やがて、新たな何かを生み出すかもしれません。
仮に結果が失敗なら、失敗例として今後に生かせます。


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あれから14年が経ち、私も65歳になりました。
いわゆるひとつの高齢者です。

資金力や技術力は元々ないに等しかったのですが、
多少はあった体力も、ジワジワと衰えてきました。

今となれば、
ガレキの中で苦闘する人々を笑わすようなパワーも、
さほど残っていないのではないかと不安になります。

でも、それならそれでいいかも。

かつて出来たことが出来なくなるのは自然の摂理ですし、
出来ないことをやろうとすれば、また心が捩じれてしまうので。

大事なことは、今の自分にできることは何かを考え、
答えを見つけ出し、それを臆せず実行すること。

来年になれば、来年の自分ができることを、
10年経ったら、10年後の自分ができることを見つけて取り組むこと。

震災から何年経過しようが、必ず3月11日は訪れます。

私にとって3月11日は、自分を見つめ直す日です。


みなさんの「忘れられない日」は、いつですか? どんな日でしょう?

忘れられない理由はさまざまでしょうが、
その日が、自分や大切な人たちのこれからを、
より良いものにするための一日になれば、素敵ですよね。

<一般社団法人起業支援ネットワークNICe 代表理事 増田紀彦>


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