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名古屋で福島応援ブース 第5回 N-1グランプリ2015 レポート







2015年6月27日(土)、名古屋市中小企業振興会館 吹上ホールで、東海エリア(愛知・岐阜・三重)創業7年以内の中小企業ビジネスの祭典「第5回N-1グランプリ2015」が開催された。「N-1グランプリ」とは、「創業間もない起業家でも、若い企業でも、ビジネスをしっかりアピールできる場、出会いの場、発展の場を」との想いで起業家たちが自ら立ち上がり、東海エリアの起業家全員集合&次代を担う会社を応援しあうことを目的に、2007年、2009年、2012年、2014年と開催し、のべ470社近い出展者、4000人以上の来場者数を誇る一大イベントだ。しかも実行委員のスタッフは全員がボランティアで、中小企業の経営者や会社員などが開催1年半前から企画準備に取り組んでいる。NICeをはじめ多くの企業や団体が後援・協力・協賛しているほか、前4回からは愛知県と名古屋市が後援に、また今回もアマゾン ジャパンジャパン株式会社が協力するなど、年々規模を拡大している。

第5回目となる今回は、「未来を切り拓く!出てこい!Next Nagoya No.1」をテーマに、103ものブースが出展した。商品・サービスのPRをすると同時に、会場全体が人と人をつなぐヒューマンマッチングの場となるよう、ボランティアスタッフが開催前から渾身のサポート。またステージでは、Amazonのビジネスセミナーや、愛知県内各市町村のご当地キャラクター大集合、一大名刺交換会、ミニライブなど、多彩なプログラムで場内を終始盛り上げた。そしてフィナーレでは、事前審査と来場者投票により、プレゼンの星、イケてる社長コンテスト、第5回N-1グランプリの結果発表などが華やかに行われた。










当実行委員会は、前々回2012年、前回2014年に続いて今回も、復興支援の一環としてNICeに震災復興応援ブースを無償提供し、福島県から参加した関係者の交通費も負担。震災後、NICeは東北応援をテーマに参加しているが、今回は「福島応援ブース」と題し、福島県須賀川市のパン工房MANAさんの自然酵母パンと砂糖不使用パン、そして福島県いわき市の鈴木製麺さんのマコモ若葉入りそうめん「彩麺・そよ風」、なつはぜ入りそうめん「彩麺・なつはぜ ふるーてぃ」を販売した。





▲N-1グランプリ実行委員会が震災復興支援の一環としてNICeに無償提供してくれた「福島応援ブース」。NICe増田代表&小林京子理事、パン工房MANA(福島県須賀川市)代表の柳沼美千子さん、そして東京から駆けつけてくれた茅原裕二さん、名古屋の野田哲也さんと星野好希さんらNICeの仲間たちも販売スタッフとして大活躍

▼柳沼さんは福島県産の素材を使って、オリジナリティたっぷりのパンを次々考案するパンづくりの名人。自然酵母の開発・パンの予約販売、委託販売、イベントでの販売ほか料理教室での指導もしている料理研究家だ。オリジナルの米粉パンは、『JR未来の自慢のいっぴん』に認定されたほか、『福島県JRかりんとうプロジェクト』にも採択。また、NICeプロデュース ふくしま“食”プロジェクトとして、棚倉町の小田八洲雄氏らと組んで開発した砂糖不使用の「キクイモパン」を2014年末に完成させ、今後の展開に熱い注目を集めているところだ。今回のブースでは、この自然酵母&砂糖不使用パンをメインに販売。さらに柳沼さんは籐工芸や山ぶどう工芸の製作・指導も務め、第17回日本民芸公募展で最優秀賞を受賞したほどの腕前。その柳沼さん手づくりのバッグや財布、アクセサリーも展示した




▲名古屋で初販売となった「彩麺(いろどりめん)」。NICe増田代表が福島県6次化事業体サポート事業コーディネーターとしてサポートしている、福島県いわき市の鈴木製麺さんの商品だ。「いわきの農産品を麺に」との想いで麺づくりに励む鈴木製麺さんと、マコモタケを栽培している彩花園の遠藤菊男さんとの連携で、昨夏、福島県6次化の取り組みにより商品化されたもの。さらに、アントシアニンとポリフェノールたっぷりの福島県なつはぜ(和製ブルーベリー)の実を使って練りこんだ、なつはぜ入りそうめんも開発した。NICeブースでは、マコモタケの香りと爽やかな緑色のマコモ若葉入りそうめん「彩麺・そよ風」、ほのかに甘い香りと淡い桃色の色彩を楽しめる、なつはぜ入りそうめん「彩麺・なつはぜ ふるーてぃ」の2種をセットで販売。ブースに飾ったポップは増田代表の渾身の作


さらにステージでは、NICeプレゼンツ福島復興支援座談会「〜福島の食品は、やっぱりイヤですか?〜風評被害に負けない福島の起業家の知恵と気概」と題し、NICe増田紀彦代表理事、小林京子理事、柳沼美千子さんによる対談が行われた。


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NICeプレゼンツ 福島復興支援座談会



「〜福島の食品は、やっぱりイヤですか?〜
風評被害に負けない福島の起業家の知恵と気概」

パネリスト:
増田紀彦代表理事、
柳沼美千子さん(パン工房MANA 代表 福島県須賀川市)
モデレーター:小林京子理事


ステージナレーター:N1事務局長・プレゼンジャパン代表 梶田香織さん
「さきほどのステージプログラムでは、お腹の底から笑った〜という方も多くいらしたと思います。今日、この会場には起業家の方、何かしらビジネスをされている方が多いと思いますが、そんなに楽しいことばかりではありません。顔で笑って、実は裏で、一生懸命で、泣いたり我慢したり頑張っていることと思います。ここからはNICeプレゼンツ『〜福島の食品は、やっぱりイヤですか?〜風評被害に負けない福島の起業家の知恵と気概』と題し、福島の起業家のみなさんが今、どんなふうに頑張っているのか。それを支える人たちが、どのような活動をしているか、生の声をお聞きいただきます。
NICeの増田紀彦代表理事は、N1にもゆかりがあり、この会場内にも教え子やファンも多い方です。



1997年、起業情報誌「アントレ」創刊に参加。07〜09年、経済産業省・起業支援ネットワークNICeのチーフプロデューサーを務め、同事業の民営化にともない10年4月より現職。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)など。現在、福島県6次化事業体サポート事業コーディネーター、福島県地域産業6次化イノベーター、福島県6次化創業塾主担任講師、福島県会津ブランド塾専任講師などを務め、特に福島の方へ、そして、全国の起業家へ、エールを送り続けています。ではモデレーターの小林京子理事、よろしくお願いします」



小林理事「震災から4年と少し経ちました。その期間、どんな風に時間が流れて来たのか。今、福島のみなさんは、私たちは、どんな状態か。この先、どのように進んでいったらいいのか。そんなことを考える時間にしたいと思います。
私自身が福島に、東北に、震災後関わらせていただきました。震災直後に伺い、聞く、見る、感じる、触る、味わう、匂うなど、身体で体験させていただきました。その流れの中から、昨年からは特に食に関わる方のサポート、応援をさせていただいています。今年度は福島県6次化イノベーターの職に就き、福島を中心に、頑張っている方、頑張ろうとしているけれどまだ……、という方、そういう方たちとこれからもずっとお付き合いしていこうと思います。なおステージ上のスクリーンには、話の流れに沿った映像を映し出していきます。
4年前の3月11日、震災の日。あの時、何をしていたでしょう?
私は、不動産屋で商談をしていました。では……いきます!」

小林理事は突然ステージを降りて、観客席にマイクを向けた。

「うーん……」
「名古屋の高層ビルで仕事をしていました」
「喫茶店で打ち合わせをしていました」



小林理事「4年3カ月前のことですからすぐには思い出せない方もいますよね、
では、福島ではどうだったのでしょう?」

スクリーンには福島県沿岸部のいわき市と、
同県の内陸部にある須賀川市の震災直後の画像が映し出された。



柳沼さん「私はあの日、自宅から10km離れた鏡石町へ出かけていました。友だちとイチゴを買いに行っていて、そこで地震に遭いました。最初は、大丈夫かな〜と思っていたら、段々と揺れが大きくなって、建物の外へ出ました。目の前に7mくらいの大きな平屋があったのですが、その家屋の瓦がバラバラ降って来て、驚きました。その後、風が吹いて、木が倒れて……。急いでうちへ車で戻ろうとしたのですが、道路が寸断されていて、車で行くのも不可能な感じでした。ちょうど午後の時間帯で、働き手は仕事場へ行っている時間。おじいさん、おばあさんが自宅から表へ出て来ていて、道路でへたりこんでいました。その姿が今も目に焼き付いています」

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小林理事「スクリーンでは、福島沿岸部のいわき市と、内陸部の須賀川市の様子を見ていただいています。これが現実です。どうでしょう? 今、私たちが見ているのは画面だけです。揺れも来ません、風も来ません、音もしません、匂いもしません。でも本当に、この時にこの場に居て感じてこの光景を見た。それがたった4年数カ月前です。
また一方で、福島には原発もあります。当時は、どのように認識していましたか? どのようなインフォメーションがあったのでしょう?」

スクリーンには、3月12日に爆発した福島第一原発の画像と、
2日後、3月14日に撮影され、その後、マスコミでは出回っていないもうひとつの画像が映し出された。







柳沼さん「うちは幸い電気が通り、テレビの報道を見ることはできましたが、水蒸気爆発という報道でした。私たちの地域では水道が止まっていたので、水を汲みにポリタンクを持って屋外へ集まっていました。情報がないまま、知らなかったので、その時に放射能汚染を受けたと思います。それから1週間くらい経って、海外からの情報で核爆発が起きたと知りました」

小林理事「というのが現地福島の状況でした。ではそれ以外の地域ではどうだったのか? いつ、知りえたのか。どういう行動をしたのか。現地との差について、増田さん、いかがでしょう」



増田代表「肝心な福島へは情報が行かないという中で、東京や名古屋では、3月14日に撮影された映像が最初だけニュースで流れましたが、その後、削除されました」

3月12日の爆発は、水素爆発だと政府もマスコミも報道した。しかし、この3月14日に撮影されたという画像は、削除されたという。それはなぜか。
スクリーンに映し出された3月12日と14日、2つの画像を比べてみると……、煙の出方が明らかに違う。
3月12日は、丸く爆発している。水素が建物の中に充満し、その水素が爆発したことで飛び散ったためだ。ところが3月14日の画像では、まるでロケットのように真上へ煙が上がっている。これはピストルや鉄砲と同じ原理だという。筒があり、その筒の中をエネルギーが通過すれば、煙はその方角へ直進する。つまり、ロケットのように真上へまっすぐ上がった、ということは、原子炉の中で爆発が起き、炉の中をまっすぐエネルギーが上がったため、そのまま上へ突き抜けているのだ。原子炉の中で爆発が起きたのだ。ニュースで流されなくなったのは、核爆発を起こしていた、ということがわかる画像だからだろう。

増田代表「科学者ではない私でさえ、この画像から核爆発だとわかります。当時は、そう言われませんでしたし、メルトダウンしたなどと、政府もマスコミも言いませんでした。何が本当で何が本当ではないか。日本ではわかりませんでしたが、海外ではトップニュースで報じられていました。日本にいる人だけが本当のことを知らなかったのです」


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スクリーンには、3月14日の爆発後、東日本に飛散した放射能汚染とその飛散状況地図(空間線量汚染)を映し出した。



小林理事「そしてみなさんもご存じのように、福島県だけではなく日本各地へ放射能が飛散していることが伝えられています。本当のところで何が起こっているのか。東電がどんな対応をしているのかいないのか、わからないまま時間が過ぎていきました。
そして、風評被害が起こって来ました。福島のものは食べない、買わないという人がいることについて、どう思われますか?」

柳沼さん「私は地元の方を対象に販売しているので、それほど風評被害はありませんが、知り合いの農家さんで、震災前は輸出もしていた方が輸出できない。また東京などの復興市で販売した時に、みなさん買ってはくれるけれど、帰りに近くの駅のゴミ箱にその野菜が捨ててあったという話も聞きました。多くの農家さんはとても苦しんでいます」



スクリーンに県内各地に配備された検査機器の画像が映し出された。
福島県では万全の放射能検査を実施している。



小林理事「福島県ではすべての農産物が検査を通して、出荷されているのですよね。それがどれほどお手間で大変なことかを思い知ったというか、申し訳ないことを言ってしまったなという経験があります。昨年、福島県のあんぽ柿という干し柿の生産者さんのところへお邪魔した時、販売する時にあんぽ柿の実だけではなく、葉っぱが一枚添えてあったり、枝が少し付いていたら素敵では?と言ってしまったんです。すると、『そうしたらいいんですけどね。でも葉っぱは検査をとおらない、茎もとおらない』と」

増田代表「風評被害は本当に怖いです。たとえば今の小林さんの言葉も、農家さんの『葉っぱは検査をとおらない、枝もとおらない』という言葉だけを聞いたら、まるで柿の木が汚染されているから出荷できないと誤解される方もいるかもしれませんよね。そうではないのです。柿の木が汚染されているから“とおらない”のではなく、測定器が柿の実を図るように設定されているので、葉や枝を放射線検査機に“とおせない”ということです。実を図る測定器で、それ以外のものを検査できない、という意味です。とおらない、の短い言葉の解釈が人によって異なり、時には真逆の意味で伝わり、誤解されてしまう。風評被害というのはこうして拡大するので本当に怖いのです」

ここでもう一度、東日本の放射能汚染と飛散状況地図(空間線量汚染)を示した。



増田代表「ご覧のとおり、実は福島県の中でも放射能が飛散しなかった地域もたくさんあります。一方で、福島県ではない地域でも多く飛散したところもあります。ところが世の中は、福島はダメだ、となる。そうではなく、放射能に汚染された食べ物がダメなのであって。福島県の食べ物がダメなのではありません。放射能とは無縁の地域がたくさんあります。無縁な地域のものでも、人というのは言葉を端折ってしまうので、さらに人づてに言葉が伝わっていくと、どんどん言葉が短くなり、やがて意味が変わっていきます。

情報に対して、楽をしようとして、福島のものを食べなければいいのだとなる。これは怖いことです。
それでは福島県以外の地域のものはいいとノーチェックになってしまいます。
これは、安易に情報に頼るような生き方をしていると己の身を守れませんよ、という貴重な戒めだと思います。

食べていいものは食べればいいし、食べてはいけないと思うものは食べない。それをちゃんと自分で判断する。みなさん自身が、みなさんのお子さんが、さらにその次が、健康に生きていこうとしたら、政府やマスコミがどれだけ情報を隠したとしても、今はネットでいくらでも検索できます。いくらでも、自分で調べられます。自分で情報を判断していく。これは、いろんなことに通じることではないでしょうか。

自分で情報を判断していく。今日この場は起業家の集まりですから、まさに生活だけではなくて、自分のビジネスを守っていく上でも、人の噂を聞いて、この商売を止めようとか、やっちゃおうではダメですよね? 自分の目と耳で価値判断することが大切ではないですか? 今、日本人はいろんなことを安易に信じすぎるし、鵜呑みにしすぎるし、逆に安易に疑いすぎると思います。起業家的な感性で、自分で情報を判断していくことが大事な時代になっているのだということを、この放射能の拡散状況地図は告げていると私は思っています」



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小林理事「では具体的にどのような動き、お仕事をしているのか? 柳沼さんは今日ブースで、天然酵母を使った手づくり有機パンを販売していました。どのようにつくられ、またこれからどのような商品展開をお考えですか?」

柳沼さん「福島県の食べものを食べないと言われる中でも、私たちが健康になるためにパンづくりしています。無農薬のレーズン、有機の小麦粉、米粉で酵母をつくり、そしてパンづくりをしています。
震災後の半年間は、何もする気がおきませんでした。とてもパンをつくる気にもなれませんでした。食品の加工協議会に参加していて、そこで県の6次化創業塾があると聞いて受講したのです。講師は増田先生でした。そこで起業のきっかけを学んで、今のこの期間、2。3年は人が買ってくれないだろうけれど、その間に頭をひねって、いい製品づくりをしなくてはいけないんだと考えるいい時期になったと思います。私もその中でパンづくりに励んで、加工協議会の農家のみなさんと商品づくりにも励んで、ブラッシュアップしてかなりいいものをつくれるようになりました。また40年前から私は伝統工芸師でもあるので、アケビの蔓を編んでいました。それも合わせてパンづくりもしていこうと励んでいるところです」

小林理事「柳沼さんのパンを私たちはどこで買えるのですか?販売は?」

柳沼さん「私は製造だけでお店を持っていませんが、自宅から10km離れた郡山市の星総合病院さんの青空市場で週に1度のほか、ファーマーズマーケットやイベントでの販売や、予約1セット1500円で販売しています。またつい先日からは、郡山で一番大きなデパート、うすい百貨店でも販売が始まりました。地下のグルメフロア、みちのく名産コーナーの中です。

小林理事「なんとラッキーなことに、今日この会場にも柳沼さんにはたくさんパンを持って来ていただきました。のですが……、アンラッキーなことに、すでに全部売り切れてしまいました(笑)」

柳沼さん「お買い求めただいたみなさん、ありがとうございました!」



小林理事「この3人は共同でサポートし合ったり、意見を出し合ったりしています。その要となるのが増田さんですが、具体的に増田さんは震災後。福島県でどのような活動をしているのですか?」

増田代表「震災が起き、東北が大変で、何しろどこでもいいから応援にと駆けつけたのが福島でした。N-1実行委員長の菅沼さんも福島県いわき市に駆けつけていましたが、ご縁があったのですね。あの時、何をしようかと思い、避難されている方へ物資だと、必死でかけ集めました。そして福島へ……。本当に地獄があるのかと、信じられない光景でした。これほどの破壊のされ方を見て、これでは原発も止まるなと福島県の沿岸で感じました。そして、今、何を自分ができるのかと」

小林理事「まさに言葉がなかったですね」



増田代表「そうでしたね。自衛隊のみなさんは頑張っていました。捜索し、道を造り、いろんなことをしていましたけれど、それは自分にはできないこと。何ができるかと、私は避難されている人たちのところへ行って、思い切りボケをかましたのです。まだその横からご遺体が見つかるかもしれないという状況下で、ジョークを言って来たのです。滑ったら人生もうおしまいだと思いましたが……、笑っていただけたました。毛布も欲しい、水も欲しい、でしょうけれど、笑いも欲しいのだと。

私はこうやって、人を笑わせるということしかできない。ならば、それを被災地へつぎ込もうとその時に思ったのです。そして福島へ何度もお邪魔し、福島でどうやったら事業を興せるのか、ビジネスで儲けるか、食品が売れるのかと、授業やセミナーや個別訪問をしています。
それ自体も勇気が要ることでした。原発事故が起きて、福島の食べ物をこうしたら売れるなんてこの自分が言えるのか? 言ったことをして誰が買ってくれるのか? ですが、先ほど柳沼さんが語られましたが、どうせこの時期に売れないのであれば、この時期にこそ一生懸命、売れる商品づくりをして、一緒に勉強していって、チャンスが来た時になったら売ろうと。実際に名古屋のみなさん、N-1のみなさんには感謝しています。2012年から毎回毎回ブースを出させていただき、買わない食べないといわれる福島の食べ物をたくさん買っていただいています。感謝すると同時に、それだけ魅力溢れる商品を頑張ってつくれるようになったんだなぁとも思います。

私が福島で具体的に何をしているかというと、自分が培ってきたこと、教える・笑わせること、ちょっとお金を稼ぐことの知恵を、福島の人へ提供して、実践してもらい、そしてまた勉強してもらうことを一生懸命やっているところです」

小林理事「福島のとか、どこそこの、ではなく、私たち自身の問題として考えていかないといけないと感じました。今、映し出している画像は、そのボケをかましている時のひとつですが」



増田代表「これはまだボケていません(笑)。真面目にやっている会議風景です」

小林理事「キクイモから抽出した糖化エキスをどのように製品の中に利用できるか。みんなで検討し合っている2014年9月の写真ですね。ここは柳沼さんのご自宅で、農家さんもいらっしゃいます。いろんなケーキやパンを試作し、試食しながら、意見を述べ合いました。このようなプロセスを経て、今日販売していたパンも完成したのです。今日はもう売り切れてしまいましたが、具体的にどのようなパンでしょうか? 魅力を一言で言うと?」

柳沼さん「あれこれ試行錯誤しながらでした。キクイモをべースに、キクイモの糖化エキスを使い、お砂糖を一切使っていない有機パンです。友だちが糖尿病で、砂糖不使用のパンは出来ないかと。6次化の横のつながりで商品化することができました」

小林理事「パンはすでに売り切れてしまいましたが、ブースにわずかに残っているのがおそうめんです。増田さん、こちらの魅力は?」

増田代表「こんな美しい色はほかにないのではないでしょうか。自然の恵みです。綺麗なマコモ若葉と和製ブルーベリーのピンク色です。少し太めのそうめんで、薫りも自然な薫りです。ぜひこのステージ後、お買い求めください」




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小林理事「福島はこのように頑張っています。これからも頑張っていきます。ですが、もうすこし大きな視点で考えた時、今後、福島県の一次産業や食ビジネスはどのような方向へ行くのか。また東海地区のみなさんがどのように関わっていけるのか。増田さん、日本全体としては、何をすべきだと思いますか?」



増田代表「たまたま福島なんですよね。20年前は阪神淡路大震災が、11年前は新潟中越地震が、そして東北でと。短い間隔で大震災が起きていて、まさに地震活動の活発期に入ってしまったのだと思います。もうみなさんもご存じのように、データによると、平安時代にも似たような短い間隔で大震災が頻発しています。9世紀、東北の太平洋岸を襲った貞観地震(じょうがんじしん)というのがありました。その数年前には、神戸が揺れて、その次に新潟が揺れ、そして東北で貞観地震が起き、その数年後に関東で、また数年後には東海でと。当時と同じルートで今、続いてきてしまっています。確率で言うと、あと6年以内に首都圏直下型地震が70%、16年以内に東海・南海だと。もし、東海・東南海・南海の三連動地震が起きた場合、この吹上ホールあたりは……。先ほどの被災地の画像と同じ、相当数の命が奪われるでしょう。

そうなってほしくはないに決まっていますが、現実には起きる危険性があるのです。福島だけが、東北だけが、特別だったのではなく、この日本に生きていて、この時代に幸か不幸か生まれてきた私たちは、大自然との猛烈な闘いをしていかないとならない時代に今、生きているのです。どうするか? あのエネルギーには勝てっこありません、個人では。では、どうすればいいのか?!

助け合うしかないのですよ!

大自然との猛烈な闘いの前には、福島も愛知も三重も岐阜もないのです。もともと日本列島は海洋プレートの沈み込みによって成長し、火山の爆発による火山岩や堆積岩が堆積してできています。プレートの上が嫌だ、火山が嫌だって言っても、したかがありません。この島に生まれた仲間同士で、もし地震で揺れて建物が倒れたら助けに行って引っ張り出し、食べ物がなかったら運んで行き、水がないなら運んで行き、声を掛け合う。自分は笑いを取りにいくしかできなかったけれども、それぞれみんなできることを地域を越えてやっていくんだ、ということが大事なのだ思います。

4年3カ月経って忘れている人も多いかもしれません。でも忘れてもいいのだと私は思います。毎日くよくよしていたら前へ進めませんし、明日起きるかもしれない地震をビビっていたら商売も何もできませんから。でも、もし大地震が来た時……。こうやって4年経った今も名古屋へN1へと呼んでいただき、感謝しています。いつもN-1のみなさん、ありがとうございます。逆にもし東海が大変ならば、それこそパンを持ってそうめんを持って福島からも駆けつけるでしょう。
日本人はお互いさまを尊ぶということさえ忘れなければ、大地震が来た時に犠牲は無くならないけれど最小限に抑えられることができるのではないかと思うのです。

NICeは、『つながり力』をずっと言い続けていますが、商売もお互いさま、生活もお互いさま、命を守るのもお互いさまでやっていければいいのではないでしょうか。そういうことをお伝えしたくて、またN-1に呼んでほしいとお願いをして、今回もまた呼んでいただけて本当に嬉しい限りです」

小林理事「N-1のみなさん、今この会場でお話を聞いてくださっているみなさん、ありがとうございます。では最後に東海のみなさんへメッセージを」

柳沼さん「あの時、地震が来るなんて予想もしていませんでした。水もない、何もない、ガソリンもない、外へも出られない。家の中はしっちゃかめっちゃかで、パンをつくる工房内もひどかったです。その経験からふまえたことは、やはり備えです。非常用のパンもありますが、備えておくことが一番かなと。それと横のつながりです。どこから物資が送られてくるか、本当にわからなくて。私もいろいろなところからいただいて、たくさんの力もいただきました。感謝の限りです」



小林理事「今回は福島から持ってきた商品をご紹介することも目的でしたが、支え合う、助け合う、そして横のつながりをつくっていく。そういうことがきっかけですよね。ピンチが来た時にそれをチャンスに変えるようなつながりの糸を、今ちゃんとつくっていく機会になったかと感じています。時間も来ましたので、今回のこのステージはこれで終わらせていただきます。が、また次回も、この場に伺えたら嬉しいと思います。まだまだ時間はありますので、ぜひNICeブースへいらしてください。お話の続きもそちらでしたいと思います。みなさん、ありがとうございました!」



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ステージでの対談後、NICeブースにはたくさんの方が応援に来てくださった。そのおかげで、閉会前の夕刻にはパンもそうめんもすべて完売! 東海のみなさん、N-1グランプリ実行委員会のみなさん、応援してくださったみなさん、どうもありがとうございました。これからも「お互いさま」のつながり力で、どうぞよろしくお願いします。





第5回N-1グランプリ 実行委員会
オフィシャルサイト http://n1gp.jp/5th/



取材・文、撮影/岡部 恵

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