NICe協力 地域企業の人材力強化育成事業 対談形式講演会in横手 レポート
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2014年5月21日(水)、秋田県横手市で、横手市雇用創出協議会主催、一般社団法人起業支援ネットワークNICe協力による「地域企業の人材力強化育成事業 対談形式講演会:女性のパワーが、地域産業を熱くする!福島県の『おいしい』を提供し続ける2人の女性起業家のトークショー」が開催され、横手市内を中心に秋田県内外から19名が参加。福島県石川町で「農園cafeやい子ばぁちゃん」を営む大平美代子氏と、福島県須賀川市で「パン工房MANA」を営み、東北伝統の組み編み工芸の伝承にも務める柳沼美千子氏の両氏から、起業経緯や体験談を聞き、学び合った。
■オープニング
横手市雇用創出協議会の鈴木尚登氏があいさつ。「今日はおふたりの女性起業家に福島県からお越しいただきました。多様な経験を積んで、輝いて、事業に取り組んでいらっしゃいます。その姿勢、6次化のお話、商品開発についてなど、参加者全員でそのパワーを共有して持ち帰れる対談になると思います。みなさん一体となって学びの時間としましょう」とセミナーの趣旨を伝えた。
続いて、NICeの
小林京子理事による“つながりワーク”が行われた。
「今日は話す人・聞く人というようなラインを引いたセミナーではなく、一緒になって学び合える場にしていこうという会です。今日ここに集ったのもご縁ですから、つながりというお土産を持って帰っていただきたいと思い、”つながりワーク”というものを行います。」
対談に登壇する大平・柳沼両氏も加わり、まずは全員で楕円形に。小林理事が挙げるテーマや質問に沿って、挙手や場所の移動などをして、どのような人がどのような目的で参加しているのかを全員で共有していった。参加者の多くは同じ横手市内がほとんどだが、初対面という人も少なくなく、まずはどこから参加したのか。自営しているのか、勤めているか、起業予定者なのか。どのような仕事か、事業予定か。今日のキーワードである「パワフル」度の自覚はどの程度か、その理由はなぜか。ラストには6つのキーワードのうちピンと来るものを選び、選んだ者同士でその理由を話し合うなど数種類の“つながりワーク”を実施。全員が打ち解け、雰囲気もリラックスしたところで、いよいよ対談が始まった。
地域企業の人材力強化育成事業 対談形式講演会
【テーマ】女性のパワーが、地域産業を熱くする!
福島県の『おいしい』を提供し続ける2人の女性起業家のトークショー
進行:一般社団法人起業支援ネットワークNICe 増田紀彦代表理事
パネリスト:
農園cafeやい子ばぁちゃん 代表 大平美代子氏
HP:http://farm-yaiko.jimdo.com/
(NICe福島の頭脳交換会 2013年4月)
レポートhttp://www.nice.or.jp/archives/15586
パン工房MANA 代表 柳沼美千子氏
NICe会員情報はこちら
(NICeなビジネスプランコンテスト 2014年12月 グランプリ受賞)
レポートhttp://www.nice.or.jp/archives/20365
対談の進行を務めるNICe増田紀彦代表理事は、最初に、ふたりとの出会いを紹介。それは2011年11月。福島県庁が運営する『ふくしま・6次化創業塾』の講師として招聘されたのが増田氏で、その受講生の中にいたのが大平氏と柳沼氏だという。増田氏は、時に参加者へもマイクを向けながら問答を繰り広げながら、当時のことを語った。
「みなさんは、6次化をご存じですか? 1次産業、2次産業、3次産業、主に1次産業の方が従来のプロセスで終わらせず、2次3次も行うというものです。大平さんはトマトを生産していますが、それを加工してジャムにして、販売もしています。原料をつくって加工して売る。それが6次化です。今、日本中で推進していますが、当時はまだ始まったばかりでした。2011年11月、つまり大震災の年です。震災の爪痕が厳しく、津波被害とは別の原発事故もあり、風評被害も風評ではない被害もある福島へ、私は講師として行ったわけです。
ですが、福島の生産者さんへ、『こうやったら売れます』なんて話をどうすればいいのか。どんな顔をして授業をしたらいいのかと……。正直、ハードルが高く、断ろうかとも考えました。でも、逃げちゃいけないと。自分が被災地のために何ができるかと考えたら、ガレキを撤去する技術は持ってはいないし、自衛隊のようにご遺体を探し出すすこともできない。自分はビジネスの仕方を教える人間なのだから、それを提供するしかないと。それて勇気を出してお受けし、福島へ向かいました。
自分がお役に立てるのか、正直ビビって行きました。そうしたら、受講生のみなさん、目が輝いているんですよ。てっきり、意気消沈しているかと思っていました。それところが、目が爛々としている。どうせ今は売れないのだから、この時期にしっかり勉強しよう。経営のこと、商品開発のこと、いっぱい勉強して、次に備えるんだと。こういう人たちと一緒に勉強できるんだ、よっしゃーと思いました。みなさん実に熱心で、11月から翌年の2月まで、長い授業でしたが有意義でした」
ところが、翌2012年の秋。再度、福島県からの要請を受け、講師を務めることになった増田氏。教室へ行ってみると……。その時の驚きと喜びを、増田氏が自ら描いたイラストをプロジェクターに映し出すと、大平氏と柳沼氏が少し照れくさそうに微笑んだ。
「翌年も、なんと、また来ていたんですよ、大平さんと柳沼さんが! しかも最前列の席に座って、笑っているんですよ。『あれ?去年勉強したじゃない! 今年も来たの?!』と驚きましたが、勉強熱心なふたりとまた一緒に学べるのが嬉しかったです。そんなわけで2年間、ふたりをいじりまわしました(笑)。ステップアップ起業コースを2年間、さらに2013年の3年目には、上級マスターコースというのがあり、個別にコンサルを受けるコースへと、私も講師として共にしました。大平さんはそれらもすべて受講して、また私が指導できたわけですが、柳沼さんは応募用紙の送付先を間違えて上級マスターを受講できませんでした。そんなあわてんぼうさんで、勉強熱心な教え子たちです(笑)」
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続いて、福島県の全体地図を映し出し、大平さんが暮らす石川町と、柳沼さんが暮らす須賀川市の位置をクイズ形式で参加者に質問した後、それぞれの事業を画像で紹介した。
大平氏は、福島県の南部・石川町にある築100年の自宅と里山を舞台に、『農園cafeやい子ばぁちゃん』を経営している。郡山駅から車で約50分、最寄り駅の磐城石川駅から車で15分、周囲にのどかな里山が広がる自然豊かな場所だ。店名の『やい子ばぁちゃん』とは、大平さんのお姑さんのお名前で、まさに看板娘だと増田氏は紹介した。
まるで体育館のような大きな母屋の裏山には、樹齢290年のブナの木がそびえ、周囲には大平宅の水田や畑、ビニールハウス、果樹園、養鶏場、牛舎があり、カフェで提供する料理や加工品など食材のほとんどを生産している。また、地域の仲間と数々の6次化加工品を開発し、完熟フルーツトマトを使ったオリジナルのソースやジャム、米粉シフォンケーキやマドレーヌなども販売。今後は宿泊サービスも本格化させる計画だという。
増田氏「広い母屋の2階がカフェです。昔の家屋で、天井を抜いて梁を出してとても素敵です。ピザ釜もあって、ここで育てた食材でお料理を提供しています。水稲、野菜、養鶏、酪農と、都会の人が農家と思うすべてがここにある、まさに農家のテーマパーク状態です。大平さんはとても研究熱心で、いろんなものを試してつくっています。改良して改良して、素晴らしい加工品もたくさんあります。今日は荷物が重たいので持ってこなかったそうですが、大平さんのトマトソース、美味しいですよね。糖度が高いトマトなのですが? 私はパスタに使いますが、ほかには?」
大平氏「煮詰めてピザソースに使っています。糖度は10%ありますが、酸味とのバランスがいいのかもしれませんね」
増田氏「水田はどのくらいの広さ?」
大平氏「1.5haあって、有機米、農業体験、牛の飼料米、米粉も1枚やっています。その米で、お菓子用の米粉にして、お菓子教室もしています」
増田氏「米粉にはグルテンを混ぜているのですか?」
大平氏「いいえ、粘りが必要なパンなどはグルテン必要ですが、米粉はお菓子づくりに向いています」
続いて、柳沼氏の事業紹介へ。
『パン工房MANA』代表の柳沼氏は、福島県の中部・福島県須賀川市の自宅に併設した工房を拠点に、酵母開発とそれを活かしたパンを製造し、福島県内外からの注文に応えている。毎晩深夜までパンづくりに精を出す一方で、自然酵母の開発にも余念がない。その工程画像をプロジェクターに映し出し、参加者と柳沼氏へ質問しながら増田氏が説明した。また、2013年11月に名古屋で開催された『中小企業ビジネスの祭典 第4回 N-1グランプリ2013』(レポート
http://www.nice.or.jp/archives/19330 )に出展した時の話題も紹介した。
増田氏「名古屋のNICeメンバーに呼んでいただき、福島応援ブースを出展しました。柳沼さんにも福島代表団として来ていただき、パンをはじめ、6次化創業塾の仲間のみなさんの商品も販売したのです。柳沼さんは販売力もすごいです。見ていて楽しくなるので、たくさんの人が購入くださいました。名古屋市長の河村さんも『うみゃーなー』と喜んでいました。柳沼さんのご実家は、猪苗代町にある代々の酒蔵・稲川酒造店です」
パンと自然酵母だけではない。実家は民芸店も営んでおり、柳沼氏は40年以上前から会津伝統工芸である山葡萄やあけびのつる工芸に携わり、創作・伝承活動にも注力している。この日も見本として、山葡萄のつるで編んだ籠を持参していた。増田氏は参加者へ、日本製の場合の販売価格はいくらだと思うかと質問。1万5000円、2万円、2万2000円、7万8000円、15万円と次々と値がつけられたが、国産の販売価格はなんと12〜25万円という。組み編み工芸職人の高齢化による人手不足と、原料不足がその高価格の原因だという。危機感を抱いた柳沼氏は、東北の大事な文化を遺したいとの思いから、組み編み技術の保全を目指し、新たな取り組みに着手しているのだ。
柳沼氏「磐梯山の麓に500坪の土地を買っておきました。その土地に山葡萄の蔓を植えて、7年くらいかかりますが原料を少しでも増やしたいと。今は中国から安い組み編み籠が日本へ輸入されています。このままでは技術を中国に取られてしまいます。福島県で広く組み編みできるようにしたいのです。実は、県内の一部の町では、自分たちだけで技術を保守していこうと、学びたくても外部の人を入れてくれません。原料も自分たちだけのものにしていて、よその人を除外しています。それでは伝統継承できませんし、70、80歳の職人さんがいなくなれば、終わってしまいます。私は、福島のみなさんへこの技術をお伝えしたい、広めたいのです。それで、小さな土地ですが、組み編み技術の保全を目指して山葡萄を植えていこうと。今年4月に植樹したのですが、そこだけ除雪した雪の捨て場になってってて、大変でした(笑)。雪を掘り、さらに開墾して、植えてきました。自宅の庭にも植えました」
増田氏「古民家を活用して、人を喜ばせて、自分らでつくった商品を加工したり料理したりして提供している大平さん。そして、パン工房と、東北の組み編み技術を遺そうと取り組んでいる柳沼さん。普通の人に見えますが、実に立派な取り組みをしていますよね。話だけ聞くと、立派な取り組みと思いますが、最初につながりワークをした時のように、なんら特別な人ではなく、みなさんと同じようにごくごく普通のおふたりです。
ではなぜ、創業したのか。6次化に取り組んだのか、聞いてみましょう」
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増田氏「大平さんは以前、栄養士さんとして勤めていたのですよね? そもそもなぜご自宅で創業しようと思ったのですか?」
大平氏「長年勤めてきましたが、うちでできる仕事をと考えるようになったのは、義母が高齢になったことが理由でした。介護というと言い過ぎですし、その必要はないのですが、見守りをしながらできる仕事をと考えるようになりました。うちは田んぼや畑もありますし、主人も勤めているので。母がいつまでも元気で、認知症にならずに居られるように、私がうちで仕事したいなと。長年、人に食べ物を提供する仕事をしてきましたし、健康を考えることをしてきたので、それも生かせると思いました。山奥の里山へ来ただけでもリラックスできるよう、自然力ある場所で、ゆっくりくつろいでもらって、うちで育てた新鮮な野菜を利用して、自分のこれまでの技術も生かせるかなと。最初は起業というよりも、加工から始めたんです。お勤めしながら少しずつ勉強して」
増田氏「動機はお姑さんの八重子さんだったのですね。これは日本中の問題でもありますが、大平さんはそれに取り組んだことで、介護の問題、農家の問題もまとめてクリアした。むしろ、八重子さんはますますお元気で、店名にもなって、お客さんへもニコニコ接してくださって実に愛らしい。看板娘として人気者ですよね」
大平氏「はい、すごくフレンドリーで誰とでも話せるんです。逆に私は一歩引くタイプなのですが。母は身体も元気ですし、カフェが生きがいにもなっているようです。兄弟からも、おばぁちゃんが元気でるのでやって良かったね、と言ってもらえています」
増田氏「電話にもよく出てくださいますが、お話も可愛いらしいですね。実際に、カフェで提供するもので、おばぁちゃんがつくったものはあるのですか?」
大平氏「畑を母もやっていますので、『おれがつくった』とお客さんにもよく話をしています」
増田氏「べっぴんさんですよね」
大平氏「昔は(笑)。店名に名前をつけたのも、本人に元気でいてもらうためにと思いました」
増田氏「えーーおれの名前?!と嫌がりませんでしたか?」
大平氏「最初は嫌がっていましたが、キャラクターロゴもつくりました。これは6次化の商品開発の時に公募したデザイン学科の生徒さんの作品です」
増田氏「地域の若い人たちとも関わっていたんですね?」
大平氏「はい」
増田氏「では次に柳沼さん。パン、自然酵母、組み編みといろいろやっていますが、何をいつから始めたのですか?」
柳沼氏「実家が民芸店も営んでいて、山葡萄やあけびの蔓の工芸品がすごく売れていて、毎日生産が間に合わない状態でした。私はものづくりが好きだったので、母が『おまえもつくってみなさい』と。その当時、部屋いっぱいに素材を買って10人くらいのお年寄りがお小遣い稼ぎでつくっていたんです。それで私も、うちにある売り物の籠をほどいて、仕組みを研究して編み始めました。わからないポイントや複雑な部分は、籠を売っている店へ行って、お客さんのふりして見て覚えて聞いて、車に戻って実際に組んでみて、またわからないところは店へ見に行って、という感じで覚えました」
増田氏「すごい勉強の仕方ですね! では、先生はいなかった?」
柳沼氏「はい、独学で、あるもので覚えました」
増田氏「盗んで覚えろとは言いますが、まさにそうですね」
柳沼氏「山葡萄やあけびの蔓の工芸品は、もともとは生活に即したものです。馬が道草をしないように、馬の口にはめる道具も蔓工芸品で、耐久性もあって100年保ちます。私の実家は猪苗代町ですが、10代の頃はうちの前を荷馬車が通っていました」
増田氏「10代の頃、つい最近ですね(笑)。パンはいつから始めたのですか?」
柳沼氏「パンは食べるほうが好きで、つくるのはそんなに好きじゃなかったんです(笑)。ですが、子どもが生まれてからですね。主人が化学の専門家で、安全性を考えて、ハムはつくれ、かまぼこもつくれ、パンもつくれ、加工食品は自分でつくれと。作家の有吉佐和子さんが何でも手づくりしていたことが世間で話題になっていて、私も子どものためにつくるようになりました。今考えると、よく食べたなーと思うのですが、『おかあさんがつくったのは美味しい』と言われて、それからです」
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増田氏「お姑さんのため、子どものため。それでおふたりとも今に至るのですね。暮らしとともにお仕事が育っている。これは男性ではなかなか出てこない話です。さらにお聞きしますが、大平さん、おばぁさんを盛り上げたいとの動機で、加工品から始めたとのことでしたが、家を改装までして、厨房を設けてまで、カフェをやるというその決断は? 加工品を始めた、だけならまだわかるのですが、なぜもう一歩、踏み出したのですか?」
大平氏「どちらかというと、主人が古いものが好きで、今風のきれいな建物にはせずに母屋を遺しておきたいと。古い家を遺す意味もあって、それなら遺しつつ、お客さんをお迎えしてもいいようにしようと思ったのです。壁も土壁なのですが、それを直す時に新しい土を合わせて塗るとはがれちゃうそうで、直すなら全部を外さないとならないそうです。ですので、すきま風は入りますが(笑)、そのままにして遺しています。床は、うちの杉の木を使っています。主人の同意と協力があってカフェにできました」
増田氏「まるで体育館のような大きさの母屋ですが、広さは?」
大平氏「100坪です。家自体が昔の農作業部屋です。1階にはその昔、牛さんが居て、今ホールにしているところは藁を貯蔵するスペースでした。2階ではお蚕さんもやっていました。牛さんも家族の一員のような暮らしだったのですね。今は別に牛舎があり、5頭います。裏山を削って牛が運動できる場所もあります。東京電力との交渉も済んで、3年目にしてようやく除染できました。秋から放牧できますので、お客さんにも牛と触れていただけます」
増田氏「このあたり横手の農家さんの家も大きいですが、こういう体育館型はあまり見かけませんね。国道から300m奥に大平さんの家がありますが、周囲には人家も少ないですよね。よくまぁこれだけ奥地へと思いましたが(笑)」
大平氏「まだ奥に住んでいるお宅はありますよ(笑)。山のそばに家を建てることは合理的で、山で切り出した木をすぐ使えるので、その昔は理にかなっていたんでしょうね」
増田氏「カフェのための改造費用など、資金はどうしたのですか?」
大平氏「一度に直したのではなく、まず加工を始める時に厨房を、次に2階を直してと、少しずつ資金を貯めては手を入れました」
増田氏「自己資金で?」
大平氏「はい」
増田氏「今なら補助金が出ましたよね」
大平氏「はい〜、早まりました(笑)」
増田氏「そんなことないですよ。今なら農家さんへの補助金はありますが、そういうことに関係なく、自分らの生き方、過ごし方を選んで決断したのですから。少しずつ少しずつ、そのペースが良かったですね。一方、柳沼さんは、子どものためとはいえ、料理をつくるより食べるほうが好きだったと(笑)。それがどうして創業を考えるようになったのですか? パンづくりもあんなに酵母からつくるまで、どのように勉強したのですか?」
柳沼氏「パンをつくっては人に差しあげて、美味しいねと言われていたのですが、私の母は大阪出身なんです。その母から、『ものというのは、ちゃんと評価してもらってこそ、初めてものだ』と言われて。人へあげているだけでは、ものではないと。それで、ものにしなくちゃなと。そう思っていた時に、あるひとつの出合いがありました。須賀川から数キロの玉川というところに道の駅があるのですが、そこで販売するから、特産品を使ったパンをつくってみて、と言われたのです。販売するならちゃんとしなくちゃ!と、自宅を改造して工房を造って、保健所にも申請して。それまでは独学でつくっていたので勉強もしました。白神酵母、ホシノ酵母、ABCクッキングスクールのパン講座で勉強しました」
増田氏「本当にやるとなると徹底してすごいですね。玉川というのは、福島空港の近くで、あ、ここに空港あることはあまり知られていませんね。県庁からも遠いんです」
大平氏「震災の時には役に立ったんですよ」
増田氏「そう、仙台空港が使えなくなったので、中継基地になりましたね。須賀川、浅川、石川、鮫川、玉川。川の付く地名が多く、きれいな川が流れている地域です。大平さんのところ石川は、石と川の町で水晶も採れるし、温泉もありますね」
大平氏「地盤が堅くて、震災の時は揺れこそ大きかったですが、周囲に比べれば被害は少なかったです、石川はプレートとプレートとが重なってて、地盤が強いそうです」
増田氏「逆に須賀川は大変でした。ダムが決壊して、その鉄砲水で亡くなった方もいらっしゃいました。普段なら大ニュースですが、あまりにも津波被害が大きかったので、報道されない、知らない方もいますよね。
さて、話を戻しますが、お母さんが大阪の方で、喜ばれているだけではダメだと、対価と交換するくらいじゃないとダメだと言われたのですね? お菓子づくりも勉強したのですか?」
柳沼氏「食べ歩いて勉強しました。おかげで太りました(笑)。美味しいと聞けば、実際に取り寄せたり、買いに行ったり、とにかく食べてみる。美味しければ、パッケージの裏に成分が表示されているので、そこを見て、自分ならどうアドリブできるかなと。そうやって日々新商品に取り組んでいます」
増田氏「食関連は自分で食べても勉強になりますし、有り難いことに日本の法律上、いろいろなことまで教えてくれているのですよね。どこの誰がどんな成分でこれをつくったか。今日もセミナー前に、おふたりと横手のふるさと館へ行ってきたのですが、柳沼さん、そこでチェックしまくりでした(笑)。成分情報や加工方法をチェックしていました。お店の人からすれば嫌な客ですよね(笑)。でも、勉強は日常的にできるのだと、改めて今日、教わりました。柳沼さんは日常でも勉強するし、学校へも通ったのですね?」
柳沼氏「ホシノ酵母、白神酵母にも通いました。ABCクッキングスクールは、その当時、うちの息子が大宮にたまたまいて、会いに行った時にいいにおいがする〜!と覗いてみたら、2時間無料で教えてくれると(笑)。それで、ここで勉強しようと30万円バーンと入学金払って、福島から大宮へ学びに通いました。時々、そのまま足を伸ばして銀座までパンを買いに行ったり(笑)」
増田氏・参加者「すごいっ!(笑)」
増田氏「さすがに海外へは留学していませんよね?」
柳沼氏「留学はしていませんが、イタリアへはオリーブを絞りに行きました。出発の3日前に『行きませんか?』って誘われて、行きます!って(笑)」
増田氏・参加者「ええーーーっ!(笑)」
柳沼氏「観光やただの見学には興味なかったです。それより、どうやってオリーブオイルがつくられるのか。現地の工房や工場へ行って、行程をじっくり見て、どれが製品化されるのか、どういう味がするのか、どう違うのか。これは間違いない!というオリーブオイルを今は仕入れています」
増田氏「今、日本でもオリーブ生産が増えていますし、海外からも輸入品が多いですよね。では短く、柳沼さんのオリーブオイル講座を(笑)」
柳沼氏「オリーブを潰してタンクに貯めて、それから絞り出しています。その行程ごとで味は大きく変わります。イタリアでもオリーブは余剰で、なかなかはけません。自分のところのオリーブを工場へ持って行って絞ってもらって、その代金が払えず、オリーブで代替えしてもらうなど、生産者も加工業者も困窮しています。オリーブオイルの善し悪しは、とても格段の差があると実感してきました。大量生産のところは枝から実も全部入れて潰してしまうので、それだけ雑味も出でしまう。また少し痛んだオリーブをそのまま使用しているところもありました。私がこれだ!と仕入れているところは、オーガニックラインできれいに水洗いして丁寧に潰していますが、一般的なところは洗いもせずにそのままです。味もまったく異なります。いいものを身体に取り入れることが、若さと美の秘訣です(笑)。みなさんも、いいものを食べましょう」
増田氏「日本でもミカン生産からオリーブへと転作している農家さんが増えています。市場がいいと見込んでのことですが、しかし今、イタリアでの話を聞いたように、その先は簡単な道ではないでしょう。それに世の中はどんどん変わって行くので、工業製品でも農産品でも何でもそうですが、どこかで勇気もって、チャレンジしないといけませんし、そのためには一生懸命勉強することが大事です」
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増田氏「ここまで創業の経緯をお聞きしました。そもそも柳沼さんはお子さんのために、とのことでしたが、大平さんがお姑さんのためにカフェを開業したのは震災の前の年、2010年11月でした。開業していよいよ!と思ったところで震災。ここ横手もホールの天井が落ちたそうですね。以前に柳沼さんに震災当時のこと、そして3月14日に福島第一原発が爆発したことをお聞きしたら、福島にはほとんどニュースが入らなかったと。あの頃、柳沼さんはどこでどういう状況でしたか?」
柳沼氏「情報は入らなかったです。夫の教え子がオーストラリアにいて、レベル7で危険だから、すぐにこちらへ避難してくださいと。えーー大丈夫だよ、と言いながら、わからなかったです。海外の日本在住者へは本国から引き上げて来るように達しがあったそうですが、当時は何も」
増田氏「海外のテレビニュースではレベル7だと報じていましたが、日本では報道がありませんでしたね」
柳沼氏「その時は逃げ出す手段もないですし、ガソリンスタンドも長蛇の列。地震発生当時は須賀川の隣の鏡石町にいて、国道がすごいことになっていて、ようやく帰宅しました。交通手段は半径5キロくらい。後日、伊豆へ行ったら、東北各地から避難バスがたくさん来ていました」
増田氏「大平さんは?」
大平氏「地震発生時、私も出ていて、須賀川にいました。電柱が揺れて電話線が道を塞いでいて、大型トラックが左右に大きく揺れて。その3日後の14日に爆発が起きて、広野町の方が石川へ避難していらしていて、『夜の段階で逃げろと言われて着の身着のままで逃げてきた』と。その方達と今は友だちになって、いろんな話を聞けました」
増田氏「カフェをオープンしたばかりですが、営業にはならなかったですよね?」
大平氏「津波のあの壮絶な映像を見ていましたし、20キロ圏内は外出禁止、そのほかの地域も自粛という状態で、外へ出るにも帽子をかぶって上着を着てと。状況もわからないし、恐怖で、精神的なパニック状態でした」
増田氏「お客さんが来ない、どころじゃないですね。今はおふたりとも明るいですが、柳沼さんもしばらくはパンをつくる気にならなかったと。それから半年後の2011年秋に、6次化創業塾で私と出会ったわけですが、そのくらいの時期から、よし頑張ろう!となったのですか?」
大平氏「私も今でもよく覚えているのですが、増田先生が『今は何もできない時期だからこそ勉強しませんか?』と。あの言葉がすごく印象に残っていて、今後のために今はこういう時間なのだと、今が必要なのだと、一生懸命勉強した記憶があります」
増田氏「目が輝いていましたね。でも本当に、言葉に尽くせないほど大変でしたね。でした、と過去形ではないですし、何も解決したわけでもなく、大平さんのところもようやく裏山が除染されたと。除染ではなく、移しただけ、移染だとも言われていますが、抜本的な解決はまだまだ遠い。ですが、想像を絶するような苦しみの中から、今日こうしてお話ししてくださり、商品も持って来てくださった。人間は素晴らしいなぁと。震災だけでなく生きていく上で大変なことはまだまだありますからね。出荷検査はまだ続いていますよね?」
大平氏「はい。福島県の直売所で放射能検査をしています。原木椎茸はうちにもありましたが、700個シートに覆って積んでいました。先日、ボランティアさんに処分してもらいました。加工品でも野菜でもお米でも何でも検査して出荷しています。今もその影響をうけながら、です」
増田氏「その検査が大変ですよね。例えばリンゴ1個をそのまま測定できるのではなく、細かく切って一定の重さを容器に入れて、測定まで数時間。検査機の順番待ちもあるそうですね」
大平氏「レタスや青じそも重さが1キロ必要で、1キロというとすごい量です。そこまでするならと、販売を断念したこともあります。今は200グラムになって少しは楽になりましたが」
増田氏「それを出荷するたびに行うのですから、目に見えない労力がすごくかかっています。逆に言うと、ここまで検査した福島県産は安全とも言える不思議な状況になっています。大震災から3年経ちましたが、先日受講者のひとりがこう言っていました。『福島産だから買わないという人も減ったけれど、福島だから応援して買ってくれる人も減った』と。時間の経過というのはそういうことでしょう。
安全で美味しい食べ物をつくり、提供する。そういう姿勢あるおふたりの話を聞いていると、やはり人だなと思います。思いつきではなく、お子さんのため、おばぁちゃんの生きがいためにと、人生の中から湧き出てくる自然な気持ちが原点で、真面目な思いから起業しているので、その取り組みもまた真面目であり続けるはずだなと思いました。
大変なこともありますが。また喜びもありますよね?
専業主婦や雇われの身とは違う、自分でやる大変さと喜びが。大平さんはいかがですか?」
大平氏「東京・下北沢で、NPO法人福島県有機農業ネットワークがアンテナショップ『ふくしまオルガン堂 下北沢』
http://fukushima-yuuki.net/organ/というカフェを運営しているのですが、そのみなさんが、すごく応援してくれるのです。年に何回か招いていただき、そこで料理を提供しています。東京へ来てくれて嬉しいと言っていただき、また東京からもうちへ農業体験に来てくださったり。私たちが頑張っているのを応援していただけることがとても嬉しく、すごく支えられていて、東京が近くなったような気がしています。東京の人が、応援してくれる人が、たくさんいて、農業をやっていられることが嬉しいですし、地域の良さをもっともっと伝えていきたい。山奥のあの場所で、農業やって、本当に福島の良さを伝えていくことをこれからも続けられるよう、努力したいと思っています。それが今後一番やりたいことです」
増田氏「資金がないと事業はまわりませんが、それだけではなく、人とのつながりが根源的なモチベーションになっていきますよね。横手のみなさんも、もし東京へ行くことあれば、下北沢の『オルガン堂』へ寄ってみてください。柳沼さんの喜びはいかがですか?」
柳沼氏「私の場合はイベントでの販売が多く、予約販売ではお任せセットでお送りしています。それも、創業塾で自分の思いをどうしたら広められるかアウトプットしたことで実現しました。リピーターになってくださり、『美味しいよ』とか『柳沼さんのパンを食べると元気になる』と言っていただけることが喜びです。また、新商品をつくってみて、それを評価いただけると、喜びとなって、よしっ!次もがんばろう!と思えます」
増田氏「人からかけてもらう言葉がしみますよね。私も自分で会社を起こして28年です。バブル景気の崩壊も経験しました。辛い経験もしてきましたけれど、苦しい時に、言葉をかけてくれるだけでも嬉しい。自分で創業すると、人のありがたみをつくづく感じることができます。経営者は、何かあっても誰かのせいにできないし、頑張ることも自分へ返ってきます。会社に勤めていると、悪いことは社長のせいにできますが(笑)、自分でやっていると文句を言う相手がいません。逆に言うと、失敗も全部勉強になるのです。失敗は、怒られる材料ではなく、うまくいかない方法の発見になるのです。全部自分のものになり、勉強しながら成長できる。それが起業です。
そして今日のもうひとつのテーマ、女性です。新規開業の男女比率は毎年どのくらいだと思いますか?」
参加者「半々ぐらい?」
参加者「4:1くらい?」
増田氏「男性85%、女性15%です。事情はいろいろありますが、女性だから新規開業ができないわけではありません。事実、おふたりのように、お子さんのためにという母心、おばぁちゃんのためにという嫁心が起業動機になっているのですから。ただ、勤めている間に開業を練習する機会が少ないこともひとつにあります。例えば、男性なら前職で営業職ならば営業で、研究開発ならその分野で、料理人ならば飲食店でと、勤務時代の経験をそのまま起業にというケースが多い。しかし、女性は生活関連での起業が多いので、会社務めでその練習ができないのです。そのために開業までに時間もかかります。でも、やり始めたら、自分の生活や人生に関わっていることですから、強いと思います。おふたりは、女性が自分で事業をしていくことの意味や価値を感じることがありますか?」
大平氏「はい。料理を提供するにしても、女性目線で、女の人しか気がつかないことがあると思います。男性だから完璧にできることもあるでしょうが、食品関係を購入するメインは女性で、女性の好みを理解して女性目線に合わせた商品開発は重要かと思います。お弁当でもメニューでも、女性にはこういうのが喜ばれるかな、を基本にして、女性視点で商品開発しています」
増田氏「食品の購入決定権は女性が多いですものね。今、お弁当の話が出ましたが、お花見の時のお弁当で、賞を受賞していますね?」
大平氏「はい。毎年、準グランプリなのですが(笑)。グランプリはお料理屋さんでした。全日本お弁当グランプリとスイーツグランプリがあって、石川町のお花見の期間に、ノミネートしたお弁当を販売できるのです。今年は2週間売りました」
増田氏「東京のお料理屋さんやプロもエントリーするのですよね?」
大平氏「はい、勉強になります。こういう機会があった時は、チャレンジしようと思って。やってみることが大事かなとエントリーしています」
増田氏「それで準グランプリはお見事です。女性視点のお弁当とは、例えばどういう工夫ですか?」
大平氏「男性だとがっつり量を食べたいでしょうが、女性は品数の多さ、そして彩りです。同じニンジンでも切り込みを入れたり、気をつけています。ちょっと気恥ずかしいのですが、女の子らしいというか、女性しか感じない感性とか。そういう分野は女性がいいと思います」
増田氏「柳沼さんは?」
柳沼氏「子どものために考えてやってきたので、やはり安全性、オーガニック、無農薬に近いものです。お母さん方も購入してくださいますし、最近は糖尿病などに対応するご要望もあるので、オイルなしのベーグル、そして食べやすさでしょうか。小さくてカロリーは少なめ、そして美味しく栄養も考え、安全と健康ですね」
増田氏「安全や健康だからと、男性が言う場合、そう言ったほうが売れるから言うのですけれど、そうではなくて、女性の柳沼さんは本当にそのほうがいいと思っているからなのですよね。男性だと短期的に経済効率で動きがちなので、すぐに結果が出ない利益が出ないと、我慢ならなくなります。でも、ごくごく普通に母として妻として女性として、本当に安全や健康が大事なことだと無条件で理解されているからだと思います。今の時代にとてもメッセージ性がありますが、それを言うだけではなく、その気持ちをパンにする、ジャムにする、カフェにする。思いを具現化する、体言する。起業というのは、こうやったら儲かる、ではなく、自分がいいということの道筋をカタチにすること。そういうおふたりの生き方、いい人生だなぁと思います」
増田氏「参加者のみなさんから、おふたりへご質問ありますか?」
参加者「私も震災当時は福島にいました。その後、横手へ来たので状況がわからなかったのですが、福島産を消費者に受け入れてもらうまで、どのくらい時間かかりましたか?」
大平氏「応援してくれる方はいましたが実際は2年くらいでしょうか。東京の商店街で野菜販売をしましたが、寄ってくださるのはご年配の方で、若い方はすーと素通りしていかれました。予想はしていましたが、まだまだだなぁと思います」
増田氏「ナメコは屋内生産されているにも関わらず、原木のイメージがあるためか、従来の半値以下。つくってもつくっても儲からない。ものによっては2年間のマイナスは大きいです。仮に東電の保証があっても生産意欲がわきません。お年寄りの農家さんの中には、生産を断念した方もいらっしゃいます。福島は柿も有名で、あんぽ柿が名産です。震災前は11億円の売り上げがありましたが、今は柿の木が放置されてジャングル化する恐れもあります。次の問題ですね。ダメージは実に大きいです。柳沼さんは?」
柳沼氏「2年前に復興イベントに出た時は、不特定多数のお客さんでしたので、パンの技術を売るということで完売しましたが、その半年後、東京で福島県応援フェアをお手伝いに。上のフロアではコンサートか何かあって、若い人がたくさん集まっていたのですが、その下でやっているフェアに若い人は来ませんでした。フェアに来たのは元県民の方が多く、若い方には購買意欲がないのかなと感じました」
増田氏「人生や世の中では、いろんなことが起きます。ここ横手は豪雪地帯ですからリンゴの枝が折れる、実が落ちることだってありますし、鹿児島の農家さんは火山灰で大変です。和歌山も台風被害で私の親戚の家は車がガーレージごと流されました。日本というのは四季が豊かですが、いろんな自然災害があります。大変、でもそこを越えていくのが人生だし、事業です。人生も事業もも大変な時に知恵を使って乗り越えるものです。そして、人です。頭は使ったり、下げたりするものだとつくづく思います。万策尽きた!と思っても、頭をしぼれば知恵は出てくるし、応援してくれた人もいます。福島を応援しようと、名古屋まで呼んでくれる仲間もいました。魅力を感じてくれるような生き方をしていれば、見てくれる人は見てくれる。創業というのは、自分らしさを前面に出せます。大変ですが、見てくれる人は見てくれます。その喜びは大きいです。
最後におふたりから、みなさんへ、先輩からの一言お願いします」
大平氏「まだまだ勉強不足ですし、経験も足りません。ただ、自分が今後、何かをやりたいという目標を持って、柳沼さんのように研究して勉強することが大事だと思います。私の場合は、福島の農業を大切にして、発信をしていきたいです。相手に喜んでいただけるような、自分の思いを伝えていけるような仕事が楽しいと感じていますし、相手も分かってくれて共感してくれたら、リピーターになっていただけるのかなと。まずは思いを持つこと、その思いを大切にしていきたい。ターゲットという考え方も必要なのでしょうが、それよりも私は、自分がどんな風になりたいかをイメージしながら、そこへ向かって勉強したり、知識を身につけることのほうが大事かなと思っています」
柳沼氏「今まで生きてきて、その途中の年代ごとに、30、40、50、そして今になって、これまでの集大成になってきているなと感じています。だから今を精一杯生きて、それを自分の栄養として、知識の血肉を人体でつくって、それを体現していけるよう原動力にしてほしいと思います。今までやってきたことが、すべてプラスになってくる。そう自分に自信を持って、自分を褒めてあげる。それと、裏切らない商品をつくれば、お客さまは付いて来てくれると実感できるので、みなさんにもその気持ちをお伝えしたいと思います」
増田氏「ありがとうございました。あっという間の時間でしたね! 福島から来てくれていいお話をたくさんしてくださいました。みなさん、ぜひおふたりに拍手を!」
取材・文、撮影/
岡部 恵