第4回 N-1グランプリ2013 レポート
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2013年11月23日(祝・土)、名古屋市中小企業振興会館 吹上ホールで、東海エリア(愛知・岐阜・三重)創業7年以内の中小企業ビジネスの祭典「第4回N-1グランプリ2013」が開催された。N-1グランプリとは、次世代を担う企業を出展者の中から選出することを目的に、2007年、2009年、2012年と過去3回開催され、のべ400社近い出展者と来場者数3000人を超える一大イベント。中小企業の商品やサービスのPRの場であると同時に、人と人をつなぐヒューマンマッチングの場として、年々規模を拡大し、NICeを含む多くの企業や団体が後援・協力・協賛している。
第4回となる今回は、愛知県と名古屋市が初めて後援に付き、マイクロソフトや異業種交流会BNIなどの支援も得て、ブース数171と過去最大規模で実施された。実行委員のスタッフは全員がボランティアで、中小企業の経営者や会社員など約60名が、1年半前から企画準備に取り組んできた。開催当日も“おせっかいボランティアスタッフ”が、ステージでのイベントや各種プログラムで場内を終始盛り上げ、フィナーレでは事前審査と来場者投票によるグランプリ発表や、アイデアコンテスト結果発表などが華やかに行われた。
また当実行委員会は、前回2012年に続いて、復興支援の一環としてNICeに震災復興応援ブースを無償提供。そこでNICeは福島県の仲間らと共に特産品販売行い、さらにステージでは「地震列島ニッポンに生きる起業家の生き方〜福島県から仲間を迎えて〜」と題し、NICe増田紀彦代表理事の講演、柳沼美千子さん(福島県須賀川市)とNICe小林京子理事による対談を行った。
▲実行委員会が復興支援の一環としてNICeに無償提供してくれた「震災復興応援ブース」。名古屋訪問は人生初というパン工房MANA(福島県須賀川市)代表の柳沼美千子さんと、稲川酒造店(福島県猪苗代町)の女将・塩屋寿枝さんらが、自社の製品だけではなく、来場できない福島県内の仲間から託された産品を販売した。
柳沼さん手づくりの自然酵母パン各種、全国892銘柄の中から金賞を受賞した『稲川 大吟醸』、バラ専門農家・にこにこバラ園のバラ、会津の工芸品 つる工芸品・あけび蔓製品、会津木綿の布製品、登り窯で焼く会津「宗像窯」ぐい飲み、合同会社あすかエコテック(福島県石川町)の辛味調味料『鬼のなみだ』、なめこ農家レストラン・季の子工房(福島県二本松市(旧東和町))自慢のなめこ、ゆうきの里東和(福島県二本松市(旧東和町))の桑の葉製品や桑の実ジャム、有限会社ハニー松本(福島県会津若松市)の完全自家採集・無加工のはちみつ、農園Cafeやい子ばぁちゃん(福島県石川町)の無農薬・有機栽培のトマトジャム、新潟県中越地震で甚大な被害を受けた新潟県十日町市からも応援として、いきいき三ヶ村(新潟県十日町市中条)の粕漬けなどを販売。また、NICeの東京メンバー内田和行さん寄贈のボランティアメール陸前高田(立体ペーパークラフト)は、NICeブースでお買い上げ応援くださったみなさんへプレゼントした(販売商品の詳細はこちら
http://www.nice.or.jp/archives/17906)
東海エリアのNICeメンバーもブースを出展し、商材をPR。増田代表との久々の再会に事業の進捗状況を喜々として報告する経営者も。また愛知県、岐阜県、埼玉県から応援に駆けつけてくれたNICeメンバーも!
■特別講演
テーマ/地震列島ニッポンに生きる起業家の生き方
〜福島県から仲間を迎えて〜
講演:起業支援ネットワークNICe 増田紀彦代表理事
対談:柳沼美千子さん(福島県須賀川市)&NICe小林京子理事
ステージに登壇した増田氏は、まずNICeに震災復興応援ブースを無償提供してくれ、福島県から来名した関係者の交通費も寄付してくれた実行委員会にお礼を述べ、「今日は東海地方のみなさんへ、福島県から来た起業家の仲間を紹介します」と講演をスタートした。
「2011年3月11日、福島県をはじめとした東北地方の各地は想像を絶するような被害を受けました。大きな地震は東北にしか起きないのでしょうか?そんなことないですよね」と切り出し、南海トラフの研究予測を伝えた。その予測の中には、あと数ヶ月以内で南海トラフの移動が起きるだろうというショッキングなものも含まれている。決して東日本大震災は他人ごとではないのだ。
「大きな地震は日本中どこでも起きるし、千年に一度の大きな地震が日本中で起きることが研究でわかっています。今一度、あの地震の時のことを思い出してほしいと思います。そして、この言葉を皆さんへお伝えしたい」
スクリーンには以下の言葉が大きく映し出された。
人間は、過去を忘れるから
未来に希望を抱ける。
同時に、
人間は、過去を忘れないから、
未来を変えられる。
「あんな悲しい災害のことは、忘れてしまいたいけれど、忘れないから前に進めるのが人間です。つらい思い、いやな思いをしたくないという気持ちから、何百年、何千年と暮らしを発展させてきたのでしょう。そう考えると、あの震災は、日本人がこれからもっともっと強く豊かになっていく、そういうチャンスになっていくだろうと思います。人間は過去を忘れないから前へ進めるのだと思います。このあと、つらい写真や図がたくさん出てきます。ですが、思い出してみましょう」
2011年3月11日14時46分18秒、太平洋の海底を震源とした東北地方太平洋沖地震が発生し、被害は東日本全域に及んだ。増田氏は、その後の余震も含めた地震回数と日本地図を示し、自身があの日あの時、どこでどう過ごしていたのかを語った。そして、あの巨大津波の画像を映し、もしここ名古屋で東海・東南海地震が起きた場合の震度と津波予想について語った。
「テレビで何度もご覧になった津波の画像だと思います。これで10mです。東南海で起きた場合の津波予想をご存じですか? 和歌山や高知などではおよそ35mです。この画像の非ではないほどかの津波が襲うといわれています」とスクリーンを示した。
そして震災直後、自衛隊が捜索を続けている岩手県大槌町の画像を映し出した。津波と火災により1300人近くが犠牲となった大槌町。画像は瓦礫の山からまだ煙が上がっているように見える。
「自衛隊の方々が一生懸命生存者を確認している、といいたいところですがご遺体を捜索している写真です。実は私は今日から3日後に、この大槌で起業セミナーを行います。この跡地でやるのです。当然、家も働く職場も失われています。逆に、自分でやらないと、起業しないと仕事がない。何とか応援しようとお邪魔してきます」
続いて映し出しのは、福島第一原発。3月14日に黒煙を上げ、爆発したことを示している画像だ。そして次に映し出したのが、マスコミでは出回っていないもうひとつの画像。「その違いがわかりますか?」と会場に呼びかけた。3月12日の爆発は、水素爆発だと政府もマスコミも報道した。しかし、この3月14日に撮影されたという画像は煙の出方が明らかに違う。
水素は建物の中に充満し、その水素が爆発すれば飛び散るため、丸く爆発する。だが、増田氏が示したもうひとつの画像は、まるでロケットのように真上へ煙が上がっていた。それはピストルや鉄砲と同じ原理だという。筒があり、その筒の中をエネルギーが通過すれば、煙はその方角へ直進する。つまり、ロケットのように真上へまっすぐ上がった、ということは、そこに筒のようなものがあり、そこから爆発したといえる。この画像はまさに、原子炉の中で爆発が起きた、核爆発を起こしていたという証拠……。
増田氏が映し出したこの画像は、海外のテレビニュース画面だという。日本政府もマスコミも核爆発だと一切言っていない。だが、海外では当然のことながら、レベル7だと報じられトップニュースとなっていた。
この後、何が起きたのか。
増田氏は日本全国の放射能汚染と飛散状況地図(空間線量汚染)を示し、天候の影響により周辺各県に飛散していたことを解説。本州のかなり広い地域に飛散していることがわかった。そして3月20日には東京都内の浄水場から大量のヨウ素が検出されたが、水源である利根川上流部の群馬県に放射能が降り注いだゆえであることを語った。
被災地では飲み水や食料を求めて多くの子どもたちが大人と一緒に屋外で行動した。福島県内では小さな子どもたちが鼻血を出したと直に聞いたことを思い出す。避難指示は出なかった。
次に示した画像は、原発から20kmの南相馬市。防護服を着用して家族を追悼する遺族の写真。
「ご家族や友達が亡くなっても、追悼のみでちゃんとしたお葬式を出せませんでした。本当は喪服を着て手を合わせたいですが、防護服で弔いをしています。日本は人が亡くなると火葬しますよね。当たり前ですが、東北であれだけの方が一時期に亡くなったのです。火葬すらできません。沿岸の近くにたくさんの棺が並んだ写真がありました。その写真もここで映そうかと迷いましたが、あまりにも衝撃的なのでやめました。でも、そんな昔の話ではありませんよね? 2年8ヶ月前のことです」
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次に福島県全域の地図を映し出した。
福島県は大別すると、会津地方、中通り、浜通りに分類される。津波の被害が大きかった浜通りに2つ原発がある。増田氏はいくつかの地名を挙げながら、ほかの被災県にはない福島県特有の被害状況を解説した。
たとえば地域分断。放射線量が高く強制的に避難を指示された飯館村、その周辺には、特定避難勧奨地点という地域がある。つまり避難するかどうかお任せします……という曖昧な定めを受けている地域だ。小さな子どもがいる世帯には避難を促し補償金が出るが、お年寄り世帯には避難指示が出ない。補償金額も異なり同じ地域内で軋轢を生んでいる。一方で県外へ避難した子どもたちが受けた被害、差別イジメ。また県内にとどまった子どもたちは屋外での運動が制限されたため日光に当たらないことで発症するくる病も増えた。そして風評被害。福島県産の農産物は大打撃を受けている。今でも値段は元に戻らない。さらには無人化した街に野生化したイノブタが増殖し、獣害も発生している。
津波と激震による被害に加え、震災後に、放射能汚染、地域分断、児童疾病、差別イジメ、経済衰退、風評被害、獣害、地盤沈下、塩害など、深刻な事態が幾重にものしかかっている福島県。
では、県内の内陸の被害状況はどうだろう。
このあとの対談でステージに上がる柳沼さんが暮らす地域、須賀川市もまた激震により被害が大きかった。全壊した工場や校庭が地割れした小学校、湖のダム決壊により死者・行方不明者も出ているが、津波や原発事故の報道に比べて、ほとんど報道されていない。
震災から2年8ヶ月。では現在の被災地はどうか。
増田氏は、石巻をはじめ各地の地盤沈下の状況と画像を示し、一向に進まない復興住宅建設について説明した。人件費と建設資材の高騰により、応札なしが相次ぎ、復興住宅建設工事は停滞しているという。東京オリンピック開催決定によりさらに高騰する可能性もある。またガレキ処理の問題は山積したまま、処理業務雇用は間もなく打ち切られる。進まない除染作業、解決できないままの汚染水問題。23億ベクレルと聞いたこともないような高い数値の放射性セシウムが検出されている。さらにはそのタンクの耐震性さえ危ぶまれている状態だ。
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震災から現在までを振り返って来た、では未来はどうか。
増田氏はここで、一文を画面に映し出した。
人間は、未来を考えないから
現在を平穏に過ごせる。
同時に、
人間は、未来を考えるから、
創造的に過ごせる。
3.11そして3.14は他人ごとか? 否。
増田氏は、スクリーンに以下のデータを映し出した。
その場にいた誰もが見たくはない、目をそらしたくなるものだったろう。
9世紀の連続大地震と酷似する現在の地震発生状況、東海・東南海・南海の各地震における予想震度、東南海地震に限定した場合の予想震度、三連動地震が起きた場合の愛知県内の予想震度、日本全体の原子力発電所の位置と設置数……。
「よく見てくださいね。他人事ではないですよね? このあたりは軒並み建物が倒壊するでしょう。この中の何人が死ぬのでしょう。相当の割合で命を亡くされるでしょう」
ステージ中もブースでの商談は続いていた。講演中もあちこちで話し声や笑い声がしていた。
だか、この一瞬、場内が静まり返った。
「私の故郷、和歌山での津波予想は30m、高知県では34.4mともいわれています。それを『笑止千万』と評した書き込みを見つけました。信じたくないですものね。わかります。
起きてほしくない、わかるけれど、起きてほしくないから起きないとそんな簡単な話はない。
起きると思って何かを考えなくてはいけません。今日ここに居るのは、起業家、経営者のみなさんですよね?
ビジネスでも将来いつまでもいつまでも事業がうまくいけばいいけれど、時代は変化しますし、倒産の危機だってあります。もっと小さな、起きてほしくない事態が幾度となく起きるでしょう。起きてほしくない事態になっても、うまくいかなくなっても、生き伸びるのが経営者たる者の考え方ではないですか?」
場内の隅々まで響くよう呼びかけた増田氏は
次の一文を画面に映し出した。
過去に学び、未来を描き、
今、行動する人間。
過去を忘れ、未来を思わず、
今、何もしない人間。
起業家は、
どちらの種類の人間だろう?
さらに話を続けた。
「東海だけではない、日本中がそうです。どこで地震が起きても、どこに津波が来てもおかしくない。そんなことあるはずがない、ではなく、あるであろうと想定していくことが、大事ではないでしょうか。
過ぎたことだと言って、東日本大震災や原発事故から目を背けて忘れたり、名古屋に限って、愛知に限ってそんなことは起きないと思うような生き方であれば、当然、会社経営も、自分の会社に限ってはダメになるようなことはないと高をくくってしまうタイプでしょう。
しかし、ここにいるみなさんは起業家、経営者です。想定されるリクスに対して、しっかり見つめて考えていくのが起業家ではないでしょうか。そうあるべきです。
みなさんは、自分は土木やエネルギーの専門家ではないから復興に何の役にも立たないと思うかもしれませんが、それは違う!東日本大震災の時に、ほとんどの業種の人が役に立ちました。整体師の人たちは窮屈な仮設で寝ている方々をマッサージしました。笑わせに行った落語家もいます。床屋さんも美容院さんも、印刷屋さんも、楽しいものや手紙を持って行きました。旗屋さんが、みんなで頑張ろうと旗をつくって贈った。どんなことでも復興や防災に役立たせることができます。持っているものを使うことができます」
その技術を、そのハウツーを、
復興と防災に使おう。
そのカネを、そのモノやハコを
復興と防災に生かそう。
その愛を、その思いやりを、
復興と防災に注ごう。
「何よりも、この島に住んで、同じように千年に一度の大活動期に生まれた私たちは仲間ではないですか。
18年前は阪神淡路、今は東北で、今度は名古屋か大阪か、いずれにしても大変です。それでも、同じ時代に生きているお互いさまで、一緒になって助け合っていければいいではないですか。
結論です。
防災あるいは免震、防震に備えたインフラ、プレートのある太平洋側を避けて日本海側へ新しい港、倉庫、街づくりなどハード面でできることいっぱいやればいいし、それらは国や自治体がやる。
では私たち民間人は何をすべきか? 思いやったり助け合ったりすればいいではないですか。
今日は福島から来てくれた仲間がみなさんに感謝しています。震災のことを忘れている人がいます。核爆発を日本が起こしたことを忘れようとしている、隠している人もいます。でも、N-1の実行委員会は忘れていなかった。ここにいるみなさんの中にもご寄付くださった方がいるでしょう。福島の仲間の交通費をみなさんが出してくださった。もう一度、ここでお礼を言います。
名古屋のみなさん、東海のみなさん、ありがとうございます」
ステージ脇で待機していた柳沼さんも増田氏と共に深々と頭を下げた。
温かい拍手が止むのを待って、増田氏はスクリーンに次の一文を映し出し、話を続けた。
「お互いさま」の精神で結ばれた
起業家のネットワークを
この地震列島に張りめぐらせていこう。
政府も自治体も頑張るだろう。
私たち民間人も負けていられない。
巨大な敵に、官民が立ち向かう時、
この国には、再び希望と力が満ちる。
ピンチをチャンスに転化しよう!
「こういう忘れない気持ちは、起こってほしくはないけれど名古屋で何かあれば、東北から東京から、東日本から駆けつけます。お互いさまで助け合っていく。これは、商売と同じではないですか?
そういう精神を私たち日本人は持っていると思います。耐震や国土の強靭化も大事ですが、いくらコンクリが強くても、私たちの心が弱かったら、結局この国はだめになります。
立派な国土と、上から命令されなくてもどんどん助け合っていく、そういう日本人の魂を発揮していけば、この国は結構いいんじゃないの?と、日本はやっぱりいいよねとなるはずです。
こんな地震の活動期に生まれたくなかった。でも地震の大活動期を私たちが生きていけば、素晴らしい技術や資産や精神を、日本の後輩たちに残せるのだと思います。ぜひ、東海の起業家のみなさん、雇われないで生きようとするみなさん、全部がつながって、心豊かに生きられるよう、自分がダメになった時に飛んで来てくれる人の、仲間の顔が浮かぶような人生を、起業家として生きていきましょう。
情けは人の為ならずと言いますが、東北の人がかわいそうだから、ではない。自分のためになります。かわいそうではなく、尊敬に値します。あれだけの被害を受けて、家族に死なれ、仲間に死なれ、家を流され、放射能が降り注いでいる。そんな中でも仕事をして、営業して、頭を下げて、笑って家族や仲間を支えています。そういう素晴らしい精神を尊敬しているし、そういう人の仲間になれたら誇りに思います。
ぜひみなさんも、そういう人とつながって、日本中でつながって、新しい日本をつくっていくために一緒に頑張りましょう。
このあと、福島県須賀川市から来てくれた柳沼さんとNICe理事の小林さんに、あの日のお話を聴きたいと思います」
■対談
「福島の起業家の声を聞こう」
語り手:パン工房MANA 代表 柳沼美千子さん(福島県須賀川市)
聞き手:起業支援ネットワークNICe 小林京子理事
▲柳沼美千子さん
▲NICe
小林京子理事
小林氏「さきほど増田さんが言いました。『震度7の地震が来たらこの会場の何人が生き残れるだろう、何人が生き残れないだろう』。私たち今、頭で考えますが、本当に体験して、知り合いの何人が生き残り、生き残れなかったのか、その体験をされた柳沼さんの話をお聞きします。大変辛いことになると思いますが。知っていただきたいので、お聞きします」
柳沼氏「須賀川でパン工房MANAをひらいています柳沼です。よろしくお願いします」
小林氏「3月11日、実際どうだったのですか?と、事前に柳沼さんに聞きました。一般論ではなく、柳沼さんはどう思ったのか。『この世の終わり』、だそうです……。どんなふうに?」
柳沼氏「私はあの日、自宅から10km離れたところに出かけていて、その家屋が揺れて、すごく長く揺れ続いていました。表へ出てみると、目の前の家屋の瓦がばらばらと落ち、風が吹いていて、木が倒れて……。こんなことあるのかと愕然としました」
小林氏「ご近所では全壊のお宅もあったそうですね。それから深刻な事態、原発事故が起きるのですが、深刻だと実感したのは何日ぐらい経ってからですか?」
柳沼氏「テレビは見られないし、わからなくて。オーストラリアの知人から大変だよと連絡を受けました。レベル7だからこっちへ避難して来いよと。何を言っているのかわかりませんでした」
小林氏「海外からですね?」
柳沼氏「はい。地元でもなく、国内でもなく。海外からです」
小林氏「私も海外の友人から事態を聞きました。その時に息子さんは?」
柳沼氏「息子は勤務先にいたのですが、放射線測定器の針がマックスを差して切れたと言っていました。会社から全社員に1週間分の水と食料が支給され、自宅待機を命じられたと。でも、政府や市からは何も情報は得られないままですし、住民には何ら情報がありませんでした」
小林氏「今日はNICeブースで柳沼さん自慢のパンを販売していますが、震災後の気持ちは?」
柳沼氏「半年ほどは何もする気がおきませんでした。ご近所は全壊しているし、自宅の中もめちゃくちゃで。地割れがあって畑作業もできませんでしたし、200mもの地割れ続いていて、底が見えなくて、恐ろしいような状態でした。とてもパンをつくる気になれませんでした。これからどうなるのだろうと、不安でいっぱいでした」
小林氏「今日はお米の製品も販売されていますが、その農家さんともお知り合いなのですよね? 有機栽培の健康志向のお客さま向けのものをつくっていらしたと」
柳沼氏「はい、健康に気を遣った有機の商品で、地方発送して喜ばれていましたが」
小林氏「健康志向なお客さまだからこそ、余計に敏感でしょうから、放射能測定の数値に問題がなくても、どんどん売れなくなってしまったそうですね。ほかにもそういった被害を受けられた方がいらっしゃるのでしょうか?」
柳沼氏「昨年6月に有機農業のキャベツ農家さんが自殺されました。学校給食に卸していたのですが、廃棄処分になり、取り引きも中止になって将来を悲観して。新聞にも載りました」
小林氏「今思ったのですが、私たちには被害状況も自殺された方のことも何人という数値で言ってしまいますが、柳沼さんにとってはそれぞれの、お知り合いの農家さんのお顔が、生き残れなかった方のお顔が浮かぶのですよね。震災を忘れてはいけないですが、だんだんと時間の経過と共に風化してしまうのは、その違いなのかもしれないと今思いました。でも、いつどこで、今度は私たちもそうなるのか、逆に顔を思い浮かばれる側になるかもしれません。さて半年間、パンづくりもできないほどに病んでしまった柳沼さんですが、どういうきっかけで元気を取り戻したのですが?」
柳沼氏「食品の加工協議会に参加していて、そこで県の創業塾があると聞いて受講したことです。講師は増田先生でした」
増田氏「震災の1年前から始まった福島県の取り組みで、柳沼さんが参加されたのは第2期の創業塾です。農家さんや食品加工業者さんを対象にしたセミナーです」
小林氏「震災前後で受講者のみなさんに変化はありましたか?」
増田氏「震災後は当然、農家の方も食品加工の方も、意気消沈しているだろうと思っていました。実際、意気消沈したのでしょう、でも、してもしょうがないと。みなさんとても元気に塾に通ってきていたし、事業プランのレベルも驚くほど高く、びっくりしました」
小林氏「パワフルなみなさんを代表して今日は柳沼さんに来ていただいたわけですが、そういう体験を乗り越えつつある柳沼さんから、N-1のみなさんへ、ブース出展と来場者のみなさん全員へ、メッセージをお願いします」
柳沼氏「震災の時、何もする気がなくなりました。でも、創業塾へ行って、いろいろな人と仲間になって、仲間と一緒にやっていこうという気持ちになったんです。そこから、微力な私にもできることは何だろうと考えて、おいしいパンを食べてもらって、おいしいねって言ってもらうことで、意気消沈している人に何かしらの指標になればなと。自分でも何かできるのではないかという気持ちからです。小さいものが大きいものを支えている、という歌を聞いたことがあって、こんな小さな私にでも何かできるのでは?と。みんなに元気を与えられたら良いなというのがパワーの源です。仲間に出会えてそういう気持ちになりました」
小林氏「大事なのは人とのつながり、東北の方がつくったものを美味しかったと言う言葉が一番の支えだと。実は事前に柳沼さんにお話を伺ったのですが、柳沼さんは何度、お金より、人とのつながりが大事なのだと言っていました。その強さは、大変な体験をされた柳沼さんだからこその言葉だと思います。
柳沼さんは今回、ご自分の商品だけではなく仲間の商品を色々持って来ています。どうぞみなさん、お買い物だけではなく、『いいですね』『美味しそうですね』という、言葉をプレゼントしていただきたい。ぜひブースに立ち寄ってお声がけいただければと思います」
柳沼氏「最後にひとこと言わせてください。今日、販売しているのは、6次化創業塾の仲間たちのものです。一生懸命つくって喜んでいただきたいと、食べて本当においしいものばかりです。どうぞ福島県を味わっていただき、本当においしいね、と言っていただければ嬉しいです。今日はお招きいただき、本当に感謝しています。どうもありがとうございました!」
小林氏「柳沼さんをはじめとする、頑張っている東北の仲間へ、どうぞ拍手をお願いいたします」
ステージでの対談後、NICeブースには多くの方がエールを贈りに来てくださった。対談中、ブースで留守番をしていた稲川酒造店の塩屋寿枝さんと、埼玉県から助っ人に駆けつけてくれたNICeメンバー上久保瑠美子さんの耳にも、しっかり話は聞こえていたという。「初めての名古屋、初めての催事での販売体験でしたが、みなさんに温かく迎えていただき感謝しています」と塩屋さん。「この手応えを地元の仲間にも伝えます!」と柳沼さん。東海のみなさん、N-1グランプリ実行委員会のみなさん、応援してくださったみなさん、どうもありがとうございました。これからも「お互いさま」の精神でつながっていきましょう!
取材・文、撮影/岡部 恵